★★★★
開放感に充ちた密室劇
数日後に迫った卒業式を前にして、私たちは学校に花嫁修業に来たんじゃない、非人道的な集団就職反対、などという声明文のもとに、女子高生三人と、彼女らに追随した同級生の男子生徒二人が、校長室から卒業生全員の卒業証書と成績表を盗み出し、自衛隊員から奪った銃器を持って渓谷に立て籠もる、という話。
題名も強烈だし、政治的なアバンギャルド・ムービーといった紹介をされることも多い映画なので、もしかすると過激で陰惨な作品なのかと身構えていたのだが、意外にも、とてもさわやかな青春映画だった。
足立正生監督はこの数年後には、本格的にパレスチナ・ゲリラと行動をともにすることになるわけで、この映画にもそこに駆り立てられた動機の一端が読みとれるのだろうけれど、ぼく自身、他の記事から要約するしかないそのあたりの事実関係については、若松孝二へのロングインタビュー「時効なし。」(ワイズ出版刊)を参照してください。
しかし本作は、時代的な背景やスキャンダル性を度外視しても、じゅうぶんに知的で独創的でみずみずしい魅力を備えた傑作だと思う。
田舎の高校生の卒業式粉砕という小さな反逆を描くことで、当時の学生運動のミニチュアを呈示したのは、ピンク映画の予算的な制約があったのだろう。しかし、そこに身を投じる若者たちの曖昧な動機や、どこか滑稽な行動ぶりは、たとえ本格的な政治運動のドキュメンタリー・フィルムを観たとしても、これほどクレバーに納得できないだろう。
彼らがセックスに明け暮れ、仲間割れの暴力に追い込まれていく様子は、のちの過激派の内ゲバ事件を予見しているようで、本作の冷静な人間観察に驚くのだけれど、けっきょくは流血や殺人は幻想として描かれるだけで、一部始終はやり直しのきく青春の一事件となり、彼らは朗らかに次の行動へと旅立つことになる。
女子高生の一人、芦川絵理が漏らす、「結局こんな闘いは小さすぎるのよ。もう一度勝つのよ、もう一度初めから始めるのよ」という言葉は、さらに大きな運動へと若者を促す危険なアジテーションとして、当時は受け止められたのかもしれないが、今となっては、さわやかな「青春宣言」のようにも感じられる。
彼らの「砦」となった美しい渓谷で、「女学生」たちはほとんどの場面を裸に近い姿で過ごすことになり、その姿は現在の目で見ても刺激的なのだけれど、その一方で、どこか牧歌的な開放感に充ちていて、ほほえましい。
五人が全裸になって渓流で戯れる場面で、白黒の画面が突如、鮮やかなカラーに転じるのには、パートカラー作品の常として虚を突かれてしまうのだが、そこで芦川絵理の股間から垂れる真っ赤な経血が、高校生たちがシンボルとして掲げている赤地に日の丸をくり抜いた旗のイメージに切り替わるモンタージュは、ゴダールの映画にも比肩できる感覚の冴えだと思った。
この深緑に包まれた見通しのよい渓谷の空間が、映像特典の対談(若松孝二、足立正生、朝倉大介、切通理作)のなかでは、状況的に密室であったことが指摘されていて、なるほど本作は、少数派が密室に立て籠もって社会に抵抗する、ニューシネマのひとつの典型ともいえる設定を持つ映画でもある。
しかしその種の映画に予想される陰惨な閉塞感を、これほどみごとに裏切って意外な方向に展開させて、かつ成功した映画は、類がないのではないか。
かなりコミカルなタッチで韜晦されているから、すぐには気づかないのだが、頭のおかしい自衛隊員(?)の乱入という暴力的なアイディアは、並の頭で考えて出てくるものではないわけで、脚本も書いた足立正生の構想力と、差し出された脚本を何度もゴミ箱に放り込んで書き直させたのだという若松孝二の理想の高さを、まざまざと感じさせる。
「女学生」たちのなかでもヒロイン格の芦川絵理には、いったんその魅力に気づくとやみつきになるタイプで、彼女が自分の体を使って、傷ついた男たちの心を「解放」させていく終幕近くのシークエンスは、とても印象的だ。
彼女の相手役になる、眼鏡の三枚目っぽい男子学生が、「ピンク・ヌーベルヴァーグ」などの著書もある詩人の福間健二。いい思いしやがって、じゃなかった、いい経験をなさっているものです。立て籠もりの同級生たちの説得に来る生徒会長役に、あまりの若さにびっくりする平岡正明。銃で脅されて、川のなかで転んで、濡れた学生ズボンを絞りながら、「背中(せな)で泣いてる第三世界……」とか独白する、今ではちょっと意味不明なカットがある。