★★★★☆
感動しました
これは、群を抜いた演出力に加えて、三池崇史独特の手法が最大限の効果を発揮した、大傑作だと思う。
オーディションを利用した結婚相手選び、という、ちょっといけない、ドキドキするような話の展開を少しも揺るがせない程度に、さりげなく恐怖の予感を滲ませながら妄想をじわじわと煽って、後半では一気に、怖々と想像していた最悪の真相が爆発する。
しかも、当然必要になるはずの、回想や説明といった、まだるっこい方法はいっさい採らないのだ。
そこでは「記憶の上書き」とでもいうような、とてもふしぎな手法が使われていて、中盤の会話の場面が、終盤でまったく別の意味を持った場面として、主人公(石橋凌)の頭のなかで展開され、彼の記憶を上書きしていく。
この、何かを模倣したふうでも、考え抜いた結果としてたどり着いたふうでもない独特な手法は、いったいどうやって着想されたのだろう。
例えば、三池崇史自身が日常的に作品を監督するなかで、演出や撮影、ちょっとしたセリフの変更、あるいはポストプロダクションによって、あるシーンがまったく別の意味を持ってしまう映画のあり方と、同じようにそのときどきの主体のあり方によって、コロコロと姿を変えてしまう記憶というものの類似性に、敏感に反応した結果として考えられたのかもしれない。
しかもそこには、主人公はどうやって、彼が知るはずもない記憶を反芻しているのか、またその記憶を主人公に植えつけたのは、いったい誰なのか、いやそもそも、その記憶の情景を見ているのは、主人公なのか。
――そんなことがさっぱりわからない怖さが加算されているのだが、それが怖くて、しかも目新しく感じられるのは、普通ならば守ろうとするはずの作劇の文法が、大胆に、徹底的に、破られているからだ。
それらは特徴的なキレのいいフラッシュバックで、観客の前に矢継ぎ早に差し出されるのだけれど、幸福だったはずの主人公の記憶が、ことごとく絶望的な恐怖に塗り替えられていく終盤では、フラッシュバックという技法そのものに対して、ほとんど条件反射的に、恐怖を感じるようになる。
いやフラッシュバックに限らず、何度か挿入される、ヒロイン(椎名英姫)の身体の一部の不気味なクローズアップや、唐突に挿入される激しい効果音など、この映画がもたらす恐怖は、すべて映画の技法そのものに密着したかたちで現れる。
まるで使い古された映画の技法を再び強く意識させるために、必然的にそれに見合った過剰な描写が求められているかのようで、そう思うとこの映画のグロやバイオレンスは、必要以上でも以下でもない。
悪趣味をやりたくてやるという悪趣味とは、一線を画した作品である。
また、本作がもう一つ成し遂げているのは、殺人者が本来備えているはずのトラウマや怨念を超越した高みに達して、まるで自動人形のように自分のなすべきことを遂行する、完璧にイッちゃったヒロイン像の創出である。
過去のホラーを思い出しても、この一点だけでも成し遂げた作品は、傑作の部類に属していると思うのだが、きちんと人物造形を固めた作品世界のなかに、完璧にイッちゃった人物をうまく配置できた作品は、希であると思う。
しかも本作では、その場の状況に最もふさわしい、決まりきった言葉を再生する機械人形の彼女との会話から、主人公が独りよがりな愛の物語を読みとってしまうという、新しいタイプの恐怖が描かれている。
これは、日常的に機械や、あるいは機械的な対応と対話をして、相手を理解した気になってしまう私たち自身に潜んでいる、じつはゆがんでしまっている部分をシャープに抉った、身につまされる怖さだ。
主人公役の石橋凌は、他の監督作品の場合はナルシシズムがいささか鼻についたのだが、本作では丸裸にされてしまったかのような、緊迫した演技を見せている。
脇を固める國村隼、石橋蓮司、根岸季衣もいい。
ちなみに、あの袋の中には、大杉漣自身がずっと入ってたそうです。
久しぶりに近作映画を観て、評価の固まった古典と同等の充実感を味わった気がする。