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弥太郎笠

監督: マキノ雅弘 

1960年

製作: 東映(京都撮影所)
原作: 子母沢寛
脚色: 観世光太, 村松道平
撮影: 三木滋人
音楽: 鈴木静一
出演: 中村錦之助, 丘さとみ, 大河内傳次郎, 千秋実, 藤田進, 日高澄子, 原健策, 田中春男, 東千代之介


★★★★噛めば噛むほど

彌太郎笠 前篇・後篇』(1952年・新生プロ製作、新東宝配給)のリメイク。


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武士の身分を捨てて渡世人になったりゃんこの弥太郎(中村錦之助)。
上州松井の貸元虎太郎親分(大河内傳次郎)のもとにわらじを脱いだ弥太郎は、悪人の貸元、お神楽の大八(藤田進)が悪女お牧(日高澄子)の色仕掛けを使って虎太郎を騙そうとする企みに気づく。
かつての親友、桑山盛助(東千代之介)が八州廻りとしてこの地を訪れることを知った弥太郎は、お牧を継母に迎えることを嫌っている親分の娘お雪(丘さとみ)のことを思って、桑山に裁きを託すと、旅に出るのだった。

八州廻り接待の宴会で、悪巧みを暴かれたお神楽の大八は逆恨みをして、祭りの喧噪に紛れて虎太郎を殺害する。親分を失った子分たちは、あらかた大八の側に寝返り、あるいは土地を離れてしまった。

一方の弥太郎は、気のいいいかさま師の吉太郎(千秋実)と出会って気楽な旅を続けていたのだが、虎太郎の子分だった男(原健策)からその後のいきさつを聞くと、血相を変えて松井に引き返す。
親分の墓前で自分の軽率を詫びると、奪われた材木材場や飯場からお神楽の大八の子分たちを追いだし、じつはお互いに惚れあっているお雪の世話を焼くのだった。

ふたたび八州廻りの桑山が上州を訪れることを知ったお神楽の大八は、悪事の露見を怖れて、多くの浪人ものを雇い、弥太郎を始末しようとする。
折りしも虎太郎親分の一周忌にあたる祭の夜。
面を付けて踊り手になりすました刺客たちからドスを突きつけられた弥太郎は、絶体絶命の窮地に立つのだが……。

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……と、内容はごくごく普通の任侠時代劇。
目立った特異点も、際だった個性を感じさせるところもないのですが、全篇を通じてマキノ作品らしい叙情にじんわりと覆われています。
若い錦之助のキリッとした二枚目ぶりが、どこもかしこも爽やかで、色仕掛けにかかった大河内傳次郎の目を醒まさせるという、「粋なおせっかい」が招いてしまった悲劇の落とし前をつけるという物語も清々しい。

この「粋なおせっかい」は、もともと、丘さとみへの恋心がさせたものであり、弥太郎には、それが逆に彼女を不幸にさせてしまったという引け目がある。
また弥太郎は「粋なおせっかい」をするにあたって、八州廻りと友人であるという、もと武士であった自分の「特権」を使ってしまっている。
そうして改めて、渡世人であることを自覚した彼は、丘さとみへの恋心を自戒せざるをえない……。

そんな微妙な物語の綾が、純真そのものの娘を演じる丘さとみと、性的なニュアンスを寄せつけないヒーローである錦之助との恋物語に、ますます複雑な影を落とす味わいの深さが、本作の最大の見どころでしょう。

ふたりは自分たちの恋心を口にすることはなく、祭りの夜の軒下を飾る燈籠に書かれた「こんな奴 惚れるもんかゞ惚れはじめ」だとか「話し出そうか打ちあけようか 云えぬあたしがじれったい」だとかの寸言が心中を代弁するのだし、再会がかなったときは親分の死への責任が前に立ち、ふたたび心を許しても渡世人の意地が別れを促す。

恋の激情を示すことはまったくないのだけれど、錦之助と丘さとみの表情やしぐさの一つ一つに、まるで少年少女のようにうち震える彼らの心が宿っている。
こういうのがほんとうの洗練というものなんだな、と溜息がでます。

派手な展開こそないけれど、噛めば噛むほど味わいの増す名篇です。

(2008/01/20 東京国立近代美術館フィルムセンター 生誕百年 映画監督 マキノ雅弘(1) 2008/04/26記)


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