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日本侠客伝 花と龍

監督: マキノ雅弘

1969年


★★★★☆あっけにとられる結末

シリーズ九作目だけれど、内容はほとんど「花と龍」をなぞったもので、上映時間も112分と長尺だから、シリーズ中のスペシャル的な存在。
「花と龍 青雲篇・愛憎篇・怒濤篇」(加藤泰)、「続花と龍 洞海湾の決斗」(山下耕作)、「日本侠客伝 昇り龍」(山下耕作)と、このサイトでは四本目の「花と龍」。どの作品もそれぞれにすばらしいが、手慣れた語り口と役者の安定度では本作がピカイチだし、それに加えて任侠映画としての驚くべき趣向がある。

物語は玉井金五郎(高倉健)が親友の大田(二谷英明)を訪ねてゴンゾ(沖仲仕。劇中では「石炭仲仕」と説明される)の職を得るところから始まって、しだいに仲間の人望を得て、山本麟一演じる古株のゴンゾの妹マン(星由里子)と結ばれるまで(つまりコミュニティの形成)が、マキノ作品らしく、とても丁寧に描かれている。
荒くれ者だけれど気の置けない仲間たちから「タマキン」「タマキン」と呼ばれて愛されてる健さんが、マンと結婚して(なんて、お下劣なこと書いたようですみませんが、ほんとうにそうなのです)、一介の流れ者が、土地の大親分になり、家庭の父親になるまぎわまでを演じた一本気なその姿には、親分になるべき人がなっていくのだというすがすがしさを感じる。そしてなによりも、星由里子のマンが、圧倒的にすばらしい。
向う意気が強くてぶっきらぼうな、野育ちの魅力のなかに、路傍に咲いた菊の花(これがタイトルの「花」)のような美しさが自然ににじみ出す、驚くほどの名演で、マンという女性は実際にこんな人だったとしか思わせない説得力を持っている。

またこの物語には、金五郎に横恋慕して彼を籠絡し、彼の肩から上腕にかけて菊をつかんだ龍の入れ墨を彫ってしまう、蝶々牡丹のお京という魅力的なキャラクターが登場する。
これを演じるのが藤純子。
藤は、健さんが山本麟一らと共に訪れた賭場でスクリーンに登場するのだが、長い下ろし髪をちょっと耳にかけて凛然とツボを振るその姿は、劇場の暗闇がすべて吸い込まれていくような妖しさをもった、途方もない美しさである。
しかも本作でのお京の設定はかなり特殊で、金五郎の浮気相手という設定を逸脱して、金五郎とマンの夫婦愛に波乱を引き起こすはずの彼女が、マンの嫉妬心をも押さえつけてしまう、気高い精神のシンボルのように描かれている。まるで「オール・ザット・ジャズ」や「未来世紀ブラジル」に登場する、空想の中の女神のような存在なのである。

[以下、結末ネタバレ]
さて、それまで金五郎の人間的な成長を丁寧に描いていた本作なのだが、「愛憎篇」の我慢場を迎えたとたん、いきなり原作を放棄してしまう。
健さんが突如、悪役・天津敏の組へ殴り込みをかけて、無理矢理任侠映画に化けてしまう、ものすごい結末を迎えるのだ。
さらにこの殴り込みの場には、突如として女神・藤純子が降臨する。

敵が勢揃いした宴席の真っ只中で、藤が吹き替えなしの野太い声で「黒田節」を歌うと、健さんが槍をもって舞い始め、黒田節の剣舞がそのまま鮮血のほとばしる殺陣に直結する趣向が、破天荒きわまりない。
そして藤純子は、大音声でこう叫ぶ。

「女が命をかけて彫った龍、さあ、お昇りなさい!」

このショックたるや、「ヤッヂマイナァ」どころじゃありません。

(2004/2/26 中野武蔵野ホール)


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