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| 日本映画(監督別) |
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| 港祭りに来た男 監督: マキノ雅弘 1961年 製作: ニュー東映(京都撮影所) ★★★★ 1941年公開作『阿波の踊子』(再公開時に『劔雲鳴門しぶき』と改題)の再々映画化作品。 マキノの自作リメイクといえば、例えば…… だから、どこまでも理屈で固めまくる作風の笠原和夫がマキノの旧作をリメイクして、しかも主演がまたもや無骨な大友柳太朗となると、失敗作にちがいない……と思いきや、これが大傑作なんですね。 そもそもマキノ作品に限らず、隅々まで整合性を追求した脚本なんて、傑作たりえるはずがない。たとえウェルメイド・プレイであっても、どこか不合理なヌケや飛躍のあるものこそ魅力的なものなんです(1941年の『阿波の踊子』の神話性も、それに支えられた部分が大きい)。 どんな脚本でも自己流に演出してしまうマキノのことだから一筋縄ではいかないのだけれど、同じ物語を再三リメイクしたマキノと、キャリアのなかでは異例のメロドラマを扱った笠原和夫の、両方の秘密を追求できる可能性を秘めているのが、本作かもしれません(もちろん自分に、それをすべて解明する能力があるわけではないけれど)。 笠原和夫は『阿波の踊子』の脚本を書き換えるにあたって、大友柳太朗が演じる主人公の騎士道的な性格を拡大しています。 この「抗争劇」が、武士の心を持つために九十九人の武士を殺してきた大友柳太朗の個人のなかにも発生して、彼の心を引き裂くことになるというのが、この映画の主題です。 なにもそこまで、がんじがらめに悲劇の道筋を示さなくても、そもそも恋人たちの運命は、冒頭で語られる七夕の羽衣伝説によって十二分に予言されているのだけれど、笠原和夫はどんな細部にも、執拗な理屈付けの作業を惜しまない。 さらには武士的な恋愛的修辞の延長として、大友柳太朗に夫を殺されて、逆に彼を慕って追いかけてきた千原しのぶが突如姿を現す。これにはあっけにとられました。ある観念があれば、それを登場人物として実体化させずにはいられない笠原和夫の徹底した即物主義に、凶暴性すら感じたのです。 ある時代の社会の仕組みを緻密に解明して、それを登場人物たちにむりやり背負わせることで、それを背負いきれない彼らが「人間離れ」する瞬間というのが、もしかすると、どこまでも理詰めな笠原脚本が抱える最大の不条理かもしれず、もしそうであれば大和屋竺のような、まるで対蹠的な方法論を持つ作家の作品と、ぼくはほとんど同じ部分に惹かれていたのかもしれません。 ともあれ本作は、笠原和夫という非マキノ的な脚本家が、原脚本の人形遣いの語りが導くメロドラマを、星辰崇拝のプラトン的恋愛劇にすっかりすり替えてしまった結果、本来のロマンチックな資質をスケールアップさせたマキノ世界を堪能できる、特異な魅力を持つ傑作です。
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