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港祭りに来た男

監督: マキノ雅弘 

1961年

製作: ニュー東映(京都撮影所) 
脚本: 笠原和夫
撮影: 三木滋人
音楽: 服部良一
出演: 大友柳太朗, 丘さとみ, 千原しのぶ, 有馬宏治, 赤木春恵, 花園ひろみ, 水島道太郎, 堺駿二, 坂東吉弥, 高橋とよ


★★★★魅惑の星辰ロマン

1941年公開作『阿波の踊子』(再公開時に『劔雲鳴門しぶき』と改題)の再々映画化作品。
『阿波の踊子』の脚本を読んで、「手のつけようがないわけだよ、完璧にできているから」(「映画脚本家 笠原和夫 昭和の劇」)と降参しかけたものの、「何か変えてやってくれないか」とマキノに乞われた笠原和夫は、原脚本にはない羽衣伝説の導入を思いつくことで、旧作の一新に成功しています。

マキノの自作リメイクといえば、例えば……
 『阿波の踊子』→『阿波おどり 鳴門の海賊』
 『すっ飛び駕』→『天保六花撰 地獄の花道』
 『殺陣師段平』→『人生とんぼ返り』
 『弥次喜多道中記』→『大暴れ五十三次』
などの諸作を思い出してみると、脚本がキッチリと整理された結果、前作の奔放な魅力が損なわれて、凡作に終わる、といったケースが多い。

だから、どこまでも理屈で固めまくる作風の笠原和夫がマキノの旧作をリメイクして、しかも主演がまたもや無骨な大友柳太朗となると、失敗作にちがいない……と思いきや、これが大傑作なんですね。

そもそもマキノ作品に限らず、隅々まで整合性を追求した脚本なんて、傑作たりえるはずがない。たとえウェルメイド・プレイであっても、どこか不合理なヌケや飛躍のあるものこそ魅力的なものなんです(1941年の『阿波の踊子』の神話性も、それに支えられた部分が大きい)。
にもかかわらず、どこもかしこも理屈で固められた笠原脚本が、けっして凡庸に堕さないのはなぜなのか。
もちろん、膨大な資料を駆使した取材のたまものであることはたしかなのだが、しかし、取材力が武器にならない、メルヘンめいた本作でも、その方法論とおもしろさは変わらない、というのが不思議です。

どんな脚本でも自己流に演出してしまうマキノのことだから一筋縄ではいかないのだけれど、同じ物語を再三リメイクしたマキノと、キャリアのなかでは異例のメロドラマを扱った笠原和夫の、両方の秘密を追求できる可能性を秘めているのが、本作かもしれません(もちろん自分に、それをすべて解明する能力があるわけではないけれど)。

笠原和夫は『阿波の踊子』の脚本を書き換えるにあたって、大友柳太朗が演じる主人公の騎士道的な性格を拡大しています。
愛する女にふさわしい男になるまではと、ストイックに己を律し続けた彼は、武士以上にサムライの心を持つようになるのだけれど、実際の身分は武士を僭称する漁師にすぎない。
そんな彼が、仲間と仕組んだ一世一代の大芝居に勝利し、殿様の手から愛するお夕(丘さとみ)を取り戻すドラマは、芸人や漁師たちの自由な民衆社会と、武士階級の封建社会との、笠原和夫得意の抗争劇として描かれている。

この「抗争劇」が、武士の心を持つために九十九人の武士を殺してきた大友柳太朗の個人のなかにも発生して、彼の心を引き裂くことになるというのが、この映画の主題です。
盆踊りの晩に、気の合った男女が、洗練された作法に従って自由恋愛を楽しむ民衆世界を離れて、彼はもはや武士的な言葉遣いでしか愛を語れません(彼の個人的な変化は、中世のの宮廷的な洗練が、しだいに騎士道的な献身や忠誠心を取り入れていく、西洋エロスの発展史にも合致しています)。

なにもそこまで、がんじがらめに悲劇の道筋を示さなくても、そもそも恋人たちの運命は、冒頭で語られる七夕の羽衣伝説によって十二分に予言されているのだけれど、笠原和夫はどんな細部にも、執拗な理屈付けの作業を惜しまない。

さらには武士的な恋愛的修辞の延長として、大友柳太朗に夫を殺されて、逆に彼を慕って追いかけてきた千原しのぶが突如姿を現す。これにはあっけにとられました。ある観念があれば、それを登場人物として実体化させずにはいられない笠原和夫の徹底した即物主義に、凶暴性すら感じたのです。
武士の大五郎なら殺されるが、漁師の彦一ならば殺されない、というお夕の「理屈」が、終盤の展開の道筋をつけてしまうのは、あまりにも理にかないすぎて、逆に不自然すぎるというものではないでしょうか。

ある時代の社会の仕組みを緻密に解明して、それを登場人物たちにむりやり背負わせることで、それを背負いきれない彼らが「人間離れ」する瞬間というのが、もしかすると、どこまでも理詰めな笠原脚本が抱える最大の不条理かもしれず、もしそうであれば大和屋竺のような、まるで対蹠的な方法論を持つ作家の作品と、ぼくはほとんど同じ部分に惹かれていたのかもしれません。

ともあれ本作は、笠原和夫という非マキノ的な脚本家が、原脚本の人形遣いの語りが導くメロドラマを、星辰崇拝のプラトン的恋愛劇にすっかりすり替えてしまった結果、本来のロマンチックな資質をスケールアップさせたマキノ世界を堪能できる、特異な魅力を持つ傑作です。


(CS鑑賞 2008/06/14記)


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