帰ってきた モニターの中の映画館

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抱擁

監督: マキノ雅弘 

1953年

製作: 東宝
製作: 田中友幸
脚本: 西亀元貞, 梅田晴夫
原案: 八住利雄
撮影: 飯村正
音楽: 芥川也寸志
助監督: 岡本喜八
出演: 山口淑子, 三船敏郎, 志村喬, 小泉博, 平田昭彦, 堺左千夫, 山本廉, 宮口精二, 汐見洋


★★★★マキノ版 『めまい』

普通に観れば、ストーリーの運びにかなり無理のある、失敗作っぽいメロドラマなんでしょうが、まさに自分好みの作品で、感動しました。私的大傑作です。


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クリスマス・イヴの夜、勤め先のバー「山小屋」に向かう雪子(山口淑子)は、雑踏のなかで出会った男に惹きつけられる。パーティ用の仮面をかぶった男は、追いかけてくる彼女を振り切って、ふたたび人混みのなかに消えていく。
「山小屋」集うボヘミアンたち、名家の三代目(平田昭彦・デビュー作)、詩人のクロちゃん(山本廉)、画家のサボテン(堺左千夫)、勤め人の三平(小泉博)、そしてまとめ役のナベサン(志村喬)の五人は、全員が雪子に憧れている。
彼らの求愛に対して雪子は、死んでしまった恋人の伸吉(三船敏郎)の思い出を語る。
プロポーズの記念に彼女の好きな黒百合を摘みに行った伸吉は、彼女の目の前で雪崩に呑まれてしまった。雪の中の捨て子だった自分は、男を不幸にする雪女の娘なのだと雪子は語るのだった。
内気な詩人クロちゃんは、彼女に自分を受け入れる気がないと知ると、自殺してしまった。

一年後のイヴの夜。
最も雪子に恋い焦がれていた三代目が仲間たちが応援されながら、彼女にプロポーズをする。三代目と仲間たちの情熱に、頑なな雪子の姿勢も弛んで、ついに婚約を承諾する。
しかし、皆で繰り出したパーティ会場で、雪子は一年前に出会った仮面の男(三船敏郎)と再会する。仮面を外した男は、死んだ恋人の伸吉に生き写しだった。
男は早川(三船敏郎)と名乗るギャングで、雪子と話しているうちに、追っ手に銃を突きつけられる。雪子はとっさに、男とともに逃亡を決意したことを打ちあける。男は追っ手の二人を射殺すると、雪子の手を取って逃走する。

雪子は早川を、かつて恋人を失った雪山の山小屋に誘う。
自分を犯罪者だと知っても、一途に慕ってくれる雪子に心を打たれた早川は、彼女を本気で愛するようになった。しかし麓からは、照明筒をかざした警官隊が迫ってくる。
ひそかにスキーで脱出をしようとした早川から、雪子は離れようとしない。
追い詰められて、スキーで包囲網の突破を試みるふたりに、容赦ない銃撃があびせられる。
雪子が撃たれて倒れ、追っ手が迫ってくると、早川は、雪山に向かって発砲する。
やがて起こった雪崩は、抱擁しあうふたりを呑み込むのだった。

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この映画の山口淑子の役は、あきらかに偏執狂、妄想狂です。
自分の出生に遡る過去に取り憑かれて、現実を自分の妄想に引き込もうとする。
彼女をめぐる男たちは、彼女のファナティックな世界に巻き込まれて、絶望し、命を落としていく。まるでダフネ・デュ・モーリアが書いていそうな話。
たまたま見かけた男を、自分の過去の男に仕立て上げようとする狂気の虜となり、ついにはそれを果たしてしまうなんて、まるで男女が逆転したヒッチコックの『めまい』ではないか!

ふつうは作家性のない職人監督だ、とみなされているマキノ雅弘ですが、ぼくは、(無意識のうちに、かもしれないが)個的なテーマを追求したあるラインがあったと、勝手に信じはじめています。
それは、同じ話を二度もリメイクしている『阿波の踊子』(1941)、『阿波おどり 鳴門の海賊』(1957)、『港祭りに来た男』(1961)のテーマ。つまり、「帰ってきた男」もの、とでもいえばいいのか、愁いを含んだ伝説の男の姿を借りながら、懐かしくて、愛おしくて、親しくて、力強く輝かしい過去が甦る、といったたぐいの話です。

國定忠治伝説を描いた『八州遊侠伝 男の盃』(1963)は、あきらかに同様のバリエーションだし、『肉体の門』(1948)、『幽霊暁に死す』(1948)、『やくざ囃子』(1954)や、あるいは『すっ飛び駕』(1952)や『殺陣師段平』(1950)とそのリメイクの『人生とんぼ返り』(1955)のラストにも、その気配がある。

こういう「帰ってきた男」のモチーフを扱うと、マキノの演出は極端にロマンチックになり、幻想的なムードを漂わせ、神話的な神秘の力を信じているかのようにふるまいはじめる。
それを、父・牧野省三コンプレックスに由来する、といってしまえば身も蓋もないけれど、メロメロな情緒に流れる母恋的感情とは対照的に、「帰ってきた男」は父権的なだけでなく、伝統、組織、信条、あるいは闇の深さといったものと、つねに堅く結びついているんですね。
もちろんマキノはそういう作家だ、といいたいのではなくて、二百六十余本の監督作のなかに、そういう一本のラインをたぐれるのではないか、ということなんですけど。

で、この映画。
過去に取り憑かれた女が山口淑子だというのがいい。
帰ってきた男が三船敏郎だというのがいい。
この、男を巻き込む妄想力を持ったファムファタルと、神秘的な神話を背負うに足る男が画面に並ぶだけで、あまりにも現実味のない、本作の妄想的「宿命」を受け入れる気になってしまいます。

二度目のクリスマス・イヴの雑踏のなかに、山口淑子が見ていないところで、仮面をつけた三船敏郎がスッと横切るシーンは、運命の予感として鳥肌が立ったし、三船が殺人を犯して、自分の素性を打ちあけても、男が差し出したウィスキーをためらわずにラッパ飲みしながら、ひたすら自分の妄想を信じ、相手に信じさせようとする山口淑子の異様なヒロイン像が、まったく無茶苦茶なのに、(あの神秘的なほどに美しい顔をアップにするだけで)ありえるのだと思えてしまう。

逃走するふたりを追いかけてくる警官隊がかざした照明筒が、夜の雪山を乱舞する幻想美は、『港祭りに来た男』の夜空の星や『すっ飛び駕』の御用提灯や『殺陣師段平』の盆燈籠と同じく、美しい死のメタファーで、「帰ってきた男」は決まって、もともとの居場所である冥府に戻っていくことになるのです。

監督の意図せぬところを引っ張り出す愚挙は承知のうえで、それが「鑑賞」ってものだと開き直ってみれば、マキノの映画の、こういう、ウルトラロマンチックに狂うところが大好きです。

ちなみに自伝本「映画渡世」によると、スキーのシーンはすべて助監督の岡本喜八に任せて、スタントもスキーが得意な岡本自身が務めた、とのこと。


(2008/04/20 シネマヴェーラ渋谷「生誕百年 マキノ雅弘(3)」 2008/04/22記)


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