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神話めいた傑作
自伝「映画渡世」によると、昭和五年(1930年)に、『阿波の月日』*1 というタイトルだけを決めて徳島に渡ったマキノらが現地で製作を進めるつもりだったが、山上伊太郎の脚本が完成しなかったために、阿波踊りの実景撮影を済ませただけで製作が中座したのだけれど、海賊十郎兵衛の原アイディアはこのときすでに登場していたようです。
戦時中の昭和十六年(1941年)になって、東宝に招かれていたマキノのもとに山上が完成した脚本を持ち込み、徳島市民の全面協力を得て、東宝オールスター映画として製作されたのが本作。
後年も東映で『阿波おどり 鳴門の海賊』(1957)、『港祭りに来た男』(1961)と、二度にわたってリメイクされています。
自伝の「映画渡世」によると、このときはすでに信頼関係が失われていた山上伊太郎の脚本にマキノは満足せず、小國英雄が中心になってリライトし、滝村和雄、清川峰輔とマキノ本人が手を加えたのだそうで、本編でクレジットされる「観世光太」というのは、同書では山上の変名だと示唆されているのだけれど、のちにはマキノ自身やその周辺の共同ペンネームとして使われているようで、けっきょくは実体がよくわからない名前ですね。
初公開時のプリントは失われていて、今回観たものは短縮改題版である『剣雲鳴門しぶき 阿波の踊子改メ』(72分)とクレジットされるプリント *2。
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[配役]
帰って来た男 …… 長谷川一夫
髭先生 …… 黒川彌太郎
お市様 …… 入江たか子
お光 …… 高峰秀子
尺八先生 …… 月田一郎
道八旦那 …… 清水金一
目明し権蔵 …… 鳥羽陽之助
市野仁右ェ門 …… 汐見洋
十郎兵衛 …… 清川荘司
おきよ …… 清川虹子
おます …… 澤村貞子
広幡平左衛門 …… 瀬川路三郎
阿波屋徳兵衛 …… 進藤英太郎
でこ廻し …… 石川冷, 小森敏
[物語]
七年前の阿波踊りの晩に、磔刑に処された商人十郎兵衛(清川荘司)。
彼は国家老広幡平左衛門(瀬川路三郎)が密貿易の悪事を隠すために、海賊に仕立てられて無実の罪を着せられたのだった。
それからというもの、阿波踊りの日が近づくたび、家老の屋敷の門には「十郎兵衛必ず参上」という墨書が貼られ続ける。十郎兵衛を慕う住民たちは、姿をくらました十郎兵衛の弟による復讐を信じていたのだが、七年も経つうちに、ただの悪戯だと思うようになった。
旅宿阿波屋の店先では、でこ廻しが海賊十郎兵衛の物語を人形で演じている。
それを見ながら、宿の娘お光(高峰秀子)は、十郎兵衛は海賊ではない、十郎兵衛の弟は必ず帰ってくると言い張って、皆に笑われる。
宿には髯先生(黒川彌太郎)、尺八先生(月田一郎)、道八旦那(清水金一)という、素性のよくわからない三人の浪人者が宿泊して、目明し権蔵(鳥羽陽之助)に目をつけられている。髯先生には女中おますの(澤村貞子)が、尺八先生にはおきよ(清川虹子)が、思いを寄せていた。
じつは家老は、十郎兵衛の弟の許嫁であった豪商の娘、お市様(入江たか子)を、強引に側女として迎える手はずを進めていて、もし十郎兵衛の弟が復讐を計画しているのなら、今年でしかありえないと警戒しているのだった。
家老は三人の浪人者の一人が十郎兵衛の弟に違いないと考え、彼らを捕らえて、貼り紙と引き比べた筆跡鑑定をするのだが、筆の主はどうも別人らしい。
その頃、阿波屋では、一人の粋な旅人(長谷川一夫)が草鞋を脱いでいた。
お光はその男を一目見て、彼こそが十郎兵衛の弟に違いないと確信するのだが、お光の質問を旅人はことごとくはぐらかし、彼女を失望させる。
しかし、廃屋になった十郎兵衛の館を訪ねて復讐を誓う彼こそ、十郎兵衛の弟である。
十郎兵衛の弟はお市様と密会し、許嫁を七年間待たせたこと、復讐の力を養うために自分は海賊になってしまったことを詫びて、志を遂げるためにはふたりは結ばれない運命にあると、別れを告げるのだった。
一方、牢内の三人の浪人者は、突如態度を翻して、家老に協力する姿勢を示し、十郎兵衛の弟が阿波屋に泊まっていると密告する。
阿波屋を取り囲んだ捕方に、十郎兵衛の弟はあっけなく捕らえられてしまった。
釈放された三人の浪人者は、家老の協力者だと、宿の人々にそっぽを向かれるのだが、宿替えをするのだと門口を出た彼らは三方に散らばり、デコ廻しや漁民、侍、商人たちに「明日は踊ろうぜ」と、意味ありげに呼びかける。
阿波踊りの日。どこからともなく集まった異形の男たちが、仮面で顔を隠して、踊りながら家老の屋敷へと向かう。屋敷の内部の協力者が門を開き、彼らは邸内になだれ込む。
そのときすでに十郎兵衛の弟も、協力者であった牢番の助けを借りて脱獄をしていた。
好色な家老がお市様に迫ったそのとき、仮面の男たちが屋敷に踏み込むと、家老たちを成敗するのだった。
お市様は自分も海賊船に乗り、十郎兵衛の弟と添い遂げたいのだと言う。
その後……。
どことも知れぬ海上に、十郎兵衛の弟、髯先生、尺八先生、道八旦那とともに、海賊船の舳先に立つお市様の姿があった。
阿波屋の店先では、お光が海を眺めながら、旅立った人々に思いを馳せている。
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主な舞台となる宿屋、阿波屋での、従業員も宿泊客もまるで家族のような雰囲気は、まさにマキノ的な長屋の世界。
恋する女中たちと、三人の浪人者の軽妙なやりとりが醸す、芸達者たちのコミカルな世話場が楽しい。
けっして見世物的には使われていない、阿波踊りのモブシーンの迫力もすばらしい。
物語そのものは古風な復讐譚であり、そのまま物語れば、ごくありきたりな話です。
しかしその物語が、人形遣いが語る海賊十郎兵衛の昔語りを契機に、高峰秀子が演じる可憐な少女の夢想が結びついて語られるのがすばらしい。
港町の平穏な日常から立ち上がる伝説の男の復讐譚は、じつは思春期の少女が心の中に描いた、人形の語り物の世界からやってきたヒーローが、お姫様を連れて再び語り物の世界に帰っていくというメルヘンではなかったのか、という不思議な陶酔感が残ります。
彼こそが十郎兵衛の弟だと、長谷川一夫を一目見た高峰秀子は確信するんですが、やがて雨が上がり、男が外出をした部屋の中で、彼女は男とのやりとりを思い出しながら、男になりきって、独りで彼の動作や言葉を真似てみる。
男と交わしたさりげない会話が、彼女自身の神話に変わる瞬間を目撃したかのようで、思わず胸が高まるシーンです。
その後に語られる、少女の主観を離れたシーンも、どこか神話めいている。
十郎兵衛の弟が、兄の屋敷跡で十郎兵衛の幽霊に出会う場面。
十郎兵衛の弟とお市様が再会する、浅瀬か沼沢地のような場所で、水面がキラキラと光り輝く場面。
家老の屋敷から解放された三人の浪人者が、まるでレジスタンス活動のように *3、街中に散った一味の者たちに「明日は踊ろうぜ」という符丁を伝える場面。
あるいは、面で顔を隠した異形の復讐者たちが踊りながら悪家老を連れ去って、十郎兵衛の屋敷跡に導き、彼らの姿が消えると、あとに家老の死体だけが白く横たわっている場面。
そもそも、海賊の一味だったはずのデコ廻しが、海賊一味が去った後も阿波屋に居残って、十郎兵衛の弟の復讐譚を語っているというのは理屈にかなったことではなく、この不整合がますます、メルヘン的な余韻を助長します。
ラスト近くに挿入される、恋人たちのその後――海賊船の甲板に、長谷川と入江が並んで立っている、ごく短いショットは衝撃的で(これはマキノの自伝「映画渡世
地の巻」の口絵にもなっている)、船上に並ぶ怪奇な海賊たちのなかにあって、入江の古風な顔だちが、まさに「絵面に決まって」いるのを見ると、ああ、このシーンための配役だったんだ、と納得したんです。
海賊の世界に憧れる少年の夢を草双紙ふうの物語に仕立てた、泉鏡花の「薬草取」と同様の、きわめて浪漫主義的なマキノの姿がここにあります。
マキノ雅弘っていうと、日本映画黄金期の娯楽映画を牽引した職人監督の一人、というイメージがあって、それは間違っていないのだけれど、「映画渡世」を読んでみると、「日本映画の父」と呼ばれたマキノ省三の偉業に対する、喪失感に追われ続けた人生なんですね。
時代劇や現代劇、任侠やくざ映画まで、マキノが作った映画のほとんどは、なんらかの喪失に対する感情的な抵抗の物語なのだし、すでに喪失されたなにかが、神話的な男の姿を借りて甦るといった主題を扱うとき、異様なほどに昂揚したロマンチシズムが発揮される。
その代表的傑作が、本作だと思います。
*1 徳島新聞Web「1930年にも徳島市ロケ 映画『阿波の踊子』に幻の作品」
http://www.topics.or.jp/contents.html?m1=2&m2=57&kmf=2007-04&NB=CORENEWS&GI=Kennai&G=&ns=news_117625880817&v=&vm=1
という記事によると、『阿波の月日』はもともと『阿波の踊子』というタイトルであり、「阿波踊りシーンだけが『阿波踊』として徳島市内で公開上映された」らしい。
これも数えれば、四本の『阿波の踊子』が存在することになります。
*2 全篇版が現存しない以上、どこが「短縮」されたのかが気になるのだが、リメイクの『阿波おどり 鳴門の海賊』(1957)と比較すると、三人の浪人者が家老に捕らえられたコミカルなやりとりが失われているだけのようで、それほど大きな省略はなされていないように思われます。
*3 山上伊太郎が完成させた、小國英雄らによるリライト前の脚本についてマキノは、「(左翼的な)イデオロギーに酔っている脚本」であり、「かすかに左にかたむいた内容をたくみな詩的表現で謳い上げた山上伊太郎のシナリオは、今日読んでみると、一見時代を超えたアナーキズムと見えるかも知れ」ないが、戦時の現実から見れば時代遅れであり、そのまま使えなかったというふうに書いています。
もしかすると、本作の日本映画ばなれした、海賊たちの地下組織的な抵抗活動の描写は、山上伊太郎の「イデオロギー」の名残なのかもしれません。
(2007/01/31 シネマヴェーラ渋谷「帰ってきた「次郎長三国志」とマキノ時代劇大行進!」 CSで再見 2008/06/14記)