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新 高校教師 桃色の放課後

監督: 城定秀夫 

2006年

脚本: 城定秀夫
撮影: 田宮健彦
音楽: タルイタカヨシ
出演: 南波杏, 水原香菜恵, 中村英児, ホリケン。, 勝見俊守, 大滝由有子, 中務一友


★★★☆ライトコメディの完成形

規則の厳しい男子校に、教育実習生として赴任した女子大生の桃子(南波杏)は、精力絶倫の恋人(中村英児)やら、彼女を目の敵にするサディスト先輩教員(水原香菜恵)やらに悩まされながらも、日本一の教師を目指してがんばる日々なのだけれど、生徒(勝見俊守、ほか)の作る自主映画に出演したことが先輩教員の怒りを爆発させて、レイプの罠にかかってしまうことに……、というお話。

そもそもがAVアイドル主演のコメディドラマとして作られているのだから、当然のこととしてヒロインの南波杏のあっけらかんとした可愛らしさに目を奪われて、それが作品のすべてのように思えてしまうのだけれど、つねに画面に漂っている底抜けの幸福感の質の高さにいったん目を向けると、これは只事ではないのではないかと思えてしまう作品です。
以前、『隣の未亡人 幼妻エプロン日和』(2007)を観て、城定監督の軽いタッチの作品がいまいちピンと来なかったのだけれど、本作で納得できました。

もちろん城定作品には、処女作の『味見したい人妻たち』(2003)から、映画史の先祖返りをしたような軽さへの志向性があったのですが、本作はその軽さだけを蒸留した、コメディタッチの完成形を感じさます。

なーんの翳りもなく、臆面のない言葉で愛と未来を語りあって、健康的なセックスに励む主人公カップルと、コンクール入選を夢見て、真っ直ぐな気持ちで8ミリ映画製作に励む生徒たち。
かたや敵役は、ナチ信奉者の女教師と、彼女に奴隷のように仕えるマゾ教頭。
絵に描いたようなエロ学園ものの設定に、極端に戯画化された登場人物たちが、ドタバタと誇張された演技で演じる、お決まりの珍事やら葛藤やらセックスシーンやらを盛り込みながら、シンプルな効果の音楽に乗せて、期待通りのさわやかな結末に持ち込む物語は、時代錯誤なくらいにわかりやすい。

物語やキャラクターの心理の説明という、最も手のかかる部分を大胆に省いて、ストーリーを軽快に転がすことだけに全力を傾けた結果、観る側には、大胆な繰り返しや省略、劇中劇(映画中映画)やインター・タイトル(サイレント映画ふうの字幕)を使った巧みな語り、演者の細かい芝居や表情に、リラックスして集中できる余裕が与えられる。
手を抜こうとすればいくらでも手を抜ける題材なのに、妥協のない作品作りで、映画らしい映画を観たい観客の期待を裏切らないのです。

城定作品に感じられる、こういった品の良い軽さ・速さは、まるで現在の映画のもののようではなくて、サイレント期やトーキー初期の作品を思わせる。
その品格だけを問題にするならば、たとえば比較の対象として、山中貞雄の『丹下左膳余話 百萬両の壺』(1935)やボリス・バルネットの『青い青い海』(1935)なんていう、名高い作品さえ持ち出したくなってしまいます。

ストーリーとしては、生徒たちが作っている自主製作映画の中身や、サディスト女教師と教頭の造反組の没落にもうちょっとヒネリがあったらなと思う部分もあったのですが、極限の低予算と無難な女優売り企画を優先するエロOVのプロデューサー側との駆け引きのなかで、映画らしい映画の楽しみを素直に追求する城定作品を観られるのは、なんて幸福なことだろうと思うのです。

以下余談。
本編シーンのハイライトを配したエンドロールのキャスト・スタッフロールのことだけれど、プロデューサーの名前がクレジットされるタイミングで、サディスト女教師の登場と、100万円が溜まる貯金箱のシーンが組み合わされているのは、ずいぶん気のきいた皮肉ですね。


(DVD鑑賞 2008/06/02記)


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