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白い指の戯れ

監督: 村川透 

1972年

企画: 三浦朗
脚本: 神代辰巳, 村川透
撮影: 姫田真佐久
音楽: 小沢典仁
美術: 松井敏行
出演: 伊佐山ひろ子, 荒木一郎, 谷本一, 石堂洋子, 五條博, 足立義夫, 木島一郎, 粟津號


★★★演出と脚本の衝突

デビュー作の『かぶりつき人生』(1968)の興行的失敗のためにホサれてしまった神代辰巳は、第二作のロマンポルノ・デビュー作『濡れた唇』(1972)を撮るまでに「シナリオを(会社へ)出しちゃあ振られ、をくりかえして」(「官能のプログラム・ピクチュア」フィルムアート社刊)いたそうで、本作の脚本は『濡れた唇』の製作と平行して書いていたものを、ロマンポルノ用に書き直したものらしい(参照:「姫田眞左久のパン棒人生」ダゲレオ出版刊)。

村川透って、すみませんが、ぼくはよく知りません。観始めたときは『CHECKERS IN TAN TAN たぬき』の人だっけ、と思っていたくらいで、あれは川島透だったですね。警察署の廊下を男が、極端なピンぼけの廊下を歩いてきて、ピントが合うところまで歩み寄ると、あっ、粟津號は刑事だったんだとわかる、やたらとかっこいい場面を見て、ああ、和製ハードボイルドというレッテルの監督ね、と気づいた。

先に感想を言ってしまうと、どうも落ち着けない映画だった。
優れた青春映画だとは感じるのだけれど、村上演出の、要所要所をハードにキメてみせようという指向性と、神代脚本の、ねちっこく状況をひっぱっりながら、根元的な欲望を浮き上がらせようという方法のソリが合わず、脚本と演出の意図が齟齬をきたしている、という気がして。

うぶなヒロイン(伊佐山ひろ子)が初めての出会いで処女を与えた男(谷本一)は、スリの常習犯だった。男の逮捕に落胆した彼女に、女スリ(石堂洋子)が声をかける。やがてかつての男の兄貴分のスリ(荒木一郎)の女になった伊佐山は、警察権力を蛇蝎のごとく嫌う集団スリのメンバーとの仲間意識を強めていって……という話。

スリたちの日常の生態や、犯行場面のクールな描写。そして彼らの行動をマークする手練れの刑事たち。それらを演じる俳優たちが、春歌をつぶやいたり、阿波踊りを踊りながら泡まみれの乱交に突入したり、といった、神代的な言動に取り憑かれているのには、違和感がある。
喫茶店の窓から見える歩道橋の階段を降りてきた人物が、次々とヒロインの運命を変えていく仕掛けもちょっぴり派手に見せて、その場の成り行き任せ、といった具合に話が紆余曲折する印象の神代脚本が、じつはしっかりした構造を持っているのだと気づくことになるのだけれど、もっと生理的にそれらを納得させたいのだろう、神代辰巳らしさと衝突する。
演出の気張ったところと、脚本の浪花節的な要素が浮き上がって見えるのが、嫌でたまらないのだが、逆にどうしても目立ってしまうそれらのために、むりやり印象に残ってしまう作品ではある。

もう一つ残念なのは、伊佐山ひろ子の演じるヒロインが、どうも魅力的な人間に見えないところ。
一条さゆり 濡れた欲情』では、彼女そのものがアナーキズムだという、生命力にあふれた魅力を発散したのに対して、本作での彼女は、スケコマシのプロである荒木一郎に騙されて、情緒的に反権力思想を植え付けられているようにしか思えない。
ヒロインが必要以上に、頭の足りないふうに見えてしまうのも苦手だった。

いっぽうで、ベッドシーンは充実。いやらしいのではなく、かっこいいからみです。
とくに荒木一郎が初めて伊佐山ひろ子を抱くシーンは、まるで劇画のコマ割りのように細かいカットを重ね、サングラスをして、愛撫の間も片手にタバコを挟んだままの荒木一郎のふてぶてしさと相まって、とてもスタイリッシュ。
のちに再会したふたりが激しく絡みあうシーンでは(「どう見ても本当にやってると思いましたね」と姫田眞左久が言っている)濃厚な描写を見せるのだが、これにもふしぎに猥褻感はなくて、伊佐山ひろ子がひたすらきれいに見える。


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