★★★★
女ピカレスクの傑作
あまりにもすばらしくて、興奮で眠れなくなってしまった作品。
桂千穂、やっぱり凄い。加藤彰、おみそれしましてすみません。
不条理な理由からやくざに拉致監禁されて、むりやり性戯をたたき込まれたヒロイン(泉じゅん)が、いつしかそのやくざをひねり潰すような悪女へと成長していく、というお話。
これは女性の真の自立を描いた映画ですね。
……なんていうと、さる方面からの反発を喰らいそうですけど、その手の議論が卑小に思えるほどのスケールを持った作品です。「成長」とか「自立」とかいう言葉がマズいのなら、「超越」と言い換えてもいい。
ピカレスクロマンの役割は、超越的な経験論によって、世にはびこる形骸化した観念論を叩きつぶすことにあると思うんですけど、この映画はまさに本格的なピカレスク・ロマン。
ヒロインが思いがけずも自覚した自身の特権性によって、彼女との生活で小市民的な夢を育んでいた(内縁の?)夫(内藤剛志)や、自分のインポテンツを癒す理想の女を作りたいという妄執に取り憑かれたやくざ(林ゆたか)のロマンチックな「観念」は、完膚なきまでに破壊されます。
堅固な思想を破壊する道具としての「性」というものの、対象を浸食し、蝕んでいく不気味な機能を、これほど痛快に捉えた脚本は、めったにありません。
それに加えて加藤彰監督の文芸趣味的演出が、ここでは最大限の威力を発揮しています。
「文芸」とはいっても加藤彰の場合、人間の内面を掘り下げるのではなくて、横光利一とか吉行淳之介とかみたいな、ひたすら行為の表象を切り取ってみせるタイプなので、作品によってはそれがキザで皮相的に見えて、悪しきスタイリストに思えることもあったんです。
ところが本作では、まさにドンピシャ。
演出によっては、悪人によって性の奴隷にされた女性が、情念の復讐を果たすなんていうドロ臭い話にもなりかねない危険性が、無用な思い入れを排したクールな演出によって、みごとに回避されています。
それどころか、「こうして、こうして、次にこうして」という感じの、いつもの加藤彰の段取が透かし見えるような芝居の付け方が、作品にフランス古典文学のような古雅な風格を与えているんです。
甲斐八郎によるバロックふうプログレッシヴ・ロックの劇伴も、これによく合っている。
ぼくが驚嘆したのは、ヒロインが財界の黒幕みたいな男に、オフィスでフェラチオをするシーン。
あまりのテクニックに男がのけぞると、側にいたやくざの情婦が、思わず煙草を取り落として、腰が抜けたように椅子からずり落ちてしまう。
あの芝居の段取りも凄いけれど、男性だけではなく同性の権力者に対しても、ヒロインが超越者たりえた成り行きを、ごく短いカットで的確に描いてみせるのは、神懸かりだとしかいいようがない。
最後に一瞬、血しぶきがモノクロになって、じわっと色が付いていくところなんて、どうやって思いついたんですかね。かっこいい。
これを書くためにもう一度観直してみたんですが、脚本の完璧な技術と、知的にコントロールされた演出が、作品中のいたるところで結晶を結んだ名作だと、あらためて思いました。
こんな大傑作が、基本文献「官能のプログラムピクチュア」では、群小作品としてスルーされてるのだから、ロマポ恐るべし。
(ビデオ鑑賞
2007/8/4記)