
|
|
|
|
|
|
| 狂った触覚 (激愛!ロリータ密猟) 監督: 佐藤寿保 1985年 製作: 獅子プロダクション ★★★★★ 終演後のトークショーで語られた話によると、まず『激愛!ロリータ密猟』という題名を与えられた佐藤寿保監督は、「激愛」と「ロリータ」と「密猟」にふさわしい内容なのかを一応検討してみたのだそうで、ありったけの流血嗜好や加虐妄想をぶち込んでみせた勢いに圧倒されっぱなしだった鑑賞直後に、会社の要望に対して新人監督らしい従順な姿勢を少しでも見せようとした、なんていう逸話を耳にするのは、ちょっと意外な気さえしました(たしかに、三つの「お題」をクリアしてるけど)。 でも、冷静に考えれば、当然のことながら情熱だけで映画が撮れるはずはないのであって、撮影中は俳優の演技に同化するあまり、呼吸困難に陥ったことがあるのだというエピソードが、いかにもふさわしく思える熱気を放射し続けている佐藤監督の、公開後23年を経たこの処女作からは、スキャンダラスな内容から受ける刺激よりも、むしろ対象との間に置かれたクールな距離を感じて驚いたのです。 具体的に言えばそれは、狂気という対象に対するデリケートなアプローチであって、本作は、純粋であればあるほど不可知の存在であるはずのそれを、正面から描くことに成功した、希有な作品だと思います。 狂気を描こうとする意志そのものはすこしも狂ってはいない、それどころか冷静そのものでなければならないはずなのだけれど、それにしても、狂気の主体を託された主人公(渡剛敏)――手当たり次第に女を襲っては、唐草模様の風呂敷に包んで自室に連れ帰って飽きるまでレイプを繰り返し、その現場をポラロイドカメラで撮影すると、あとは女をモノのようにゴミ置き場に放り棄てる行為を繰り返すこの男に、まるで愛のような嫉妬心を抱かせてしまうこの映画は、じつにヤバい。 狂気というものは、それが完全に個人の内的な体験であり、他者とは絶対に共有できないという特権性を帯びています。その点、理性というものには、その気になれば他人とでもシェアできて、ときには経済価値を生みだす俗っぽさがつきまとう。 あるいは狂気という、本質的に不可知な対象を映像化するにあたって、主人公が撮影したスチルカメラの画像が多用されることには、(聖別されたものへの敬意として)本能的な正しさを感じざるをえません。 そんな狂った男が万引きの現場を目撃し、後日成人映画館で再会することになるのは、赤と黄色とピンクのけばけばしい流行の衣服に身を包んでいるものの、暗く世の中を呪っているかのような少女(伊藤清美)で、自由気ままに街を放浪する彼女は、姉(萩尾なおみ)を心のよりどころにしているようにも見えるのだけれど、その姉は成人映画館のトイレで体を売り、夜は痴呆の父親(たぶん港雄一)の肉体をむさぼる色情狂です。 それぞれの狂気に取り憑かれた主人公と少女は、相手の存在に自分自身の姿を投影しながら、互いの身辺を巡回するのだけれど、けっして直接的な愛の行為にはおよばない。 けっきょく少女をレイプするのは、それをするのが当然に思える主人公ではなくて、たまたま主人公と少女から金を巻き上げられた下元史朗とその仲間であり、彼女のけばけばしい原色の衣服が乱暴に剥ぎ取られて、スクリーンを掻き乱す暴力的なスペクタクルは、この映画の視覚的な圧巻です。 さらに一種の手違いによって、主人公が少女の姉を惨殺してしまうと、その成り行きを引き継いだ少女は、自分の父親を殺害することになります。 性器という触覚を傷つけることで、ふたりは純粋な狂気の孤独のなかに消えていくのだと観客が信じそうになったとき、不意を突いて、神話的ともいえる救済が訪れます。
4月22日に再度上映あります http://www.spopro.net/r18/
|