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愛欲みだれ妻 恋する

監督: 今岡信治

1999年


★★★☆「普通」で勝負

今岡信治はハッタリのない映画作家で、自分の既知の世界に生きる人々を、リアルで等身大に描いてみせるのだし、あるいはそれしか描けないのかもしれない。それは通常ならば、こじんまりとまとまる、ということにほかならないのだが、破天荒なアイディアを暴力的にぶつけることで、小さな作品世界を、まるで世界全体であるかのように拡大してしまう術(すべ)をもっている。

本作の冒頭部分では、子宮に病気が見つかってしばらくは子供ができないと知った人妻(諏訪光代)が、泣きながら自転車をこいでいると、ガソリン切れの人造人間(飯田孝男)を見つけてしまう。
それが何になる、というわけでもなく、終盤近くまでありふれた夫婦の危機が展開するというとんでもなさ。
物語の主軸になるのは、妻の精神的錯乱である。

いつも明るく笑顔で、子供もいないのに、夫(田中要次・好演)を「お父さん」と呼び、夫の靴下の破れを、電球を入れて繕うような愛情の押し売りで、知らず知らずのうちに夫にプレッシャーを与えてしまうようなタイプの彼女が、子供ができない体だと知り、夫に愛人がいることを知って、精神の均衡を欠いていく過程は、じつになまなましい。

国映のお姉さん(プロデューサー)から、四作目なんだから普通の映画を撮ってくれと言われた監督は、黒澤明の「生きる」をハコ書きし、「生きる」を「恋する」に置き換えて物語を構成し、そこに当時愛読していた向田邦子的なディテールを導入したのだそうだ。

人造人間が「普通」なのかどうかはともかく、ごくありふれた愛情物語を最大の振幅できっちりと描いてみせるのだし、ピンクとしての「普通」である濡れ場もたっぷりと見せる。
しかも登場人物たちは、たとえ親しい間柄でも、なにかに託してしかコミュニケーションがとれない、みごとに今岡信治的な人々ばかりで、それがこの映画に、同工異曲の仕掛けに頼った「一般」の恋愛映画よりも、ずっと真摯に現代を描いているという印象を与えている。

「恋する」がシナリオタイトルで、「愛欲みだれ妻」が成人館公開時タイトル。


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