★★★★
幸せな映画を観る幸せ
シリーズ七作目。
例によって流れ者やくざの健さんだが、今回は妻を喪って、五、六歳の息子を連れ歩いているという、珍しい設定。
旅先で病にかかった子供の入院費を捻出するために「命を買ってください」と飛びこんだのが、商売違いのテキ屋一家(親分は石山健二郎)だった。
親分は健さんの男を見込んで、新宿にショバを開くという、若い頃の自分の夢を託す。
新宿で単身、テキ屋のバイを始めた健さんを、親分の娘の藤純子が追ってくる。
あっという間に二人は所帯を持って、家族みんなでなごやかにテキ屋家業を営みましたという、ハッピーエンドのふしぎな任侠映画。
もちろんやくざ映画だから、悪いやくざ(渡辺文雄の親分と、片目サングラスの子分の天津敏)が新宿に縄張りを張ろうとジャマをするのだけれど、新宿のテキ屋の「お友達」が(金子信雄でさえも)、健さんを助けてくれる。
ゾッキ本がなかなか売れない健さんを押しやって、こうするんだとたちまち売りさばいてしまう金子信雄の、立て板に水の口上がやたらおもしろい。
本作は、テキ屋の世界に飛びこんだやくざという、ストレンジャー・イン・テキ屋のカルチャーギャップ・コメディでもある。
こういう、先行作品(「博徒対テキ屋」)の真似をするものかとヒネリをきかせるところ、あるいは神農道を奉じるテキ屋の精神をやくざ世界と対立させるところなどが、いかにも笠原脚本で、小品ながらも骨格がたくましい。
健さんと藤が演じる主人公夫婦も、例によって取材した実在の人物がモデルなのだが、これも例によって藤のキャラクターは、マキノ監督によって大きく変更されている(「映画脚本家
笠原和夫 昭和の劇」を参照)。
さて、悪いやくざは大阪馬賊(長門裕之、潮健児、畑中伶一)を雇って、テキ屋の商売のジャマをする。この三人の役名が、エンマの辰、ドッコイ安、フーテンの虎という。このフーテンの虎って、もしかしたら「男はつらいよ」(1969)のルーツなのか。
しかし彼らも健さんの男に惚れて、いの一番に、旗揚げをした健さん一家の組員になる楽しさ。
組長になった健さんが、総長博奕に出るための資金集めの顛末も、いつもながらとはいえ、とりわけ楽しく、しっとりとした人情劇になっている。
しかし、なんといっても見どころは、健さんと藤の恋愛劇。
初めのうち藤は、子供の面倒をみたいからという理由で押しかけ女房、ではなくて押しかけ義母になるのだが、健さんを監督するテキ屋の総領の娘という立場上、恋慕の情をこらえている。
しかし、やくざとの争いで傷を負って横たわった健さんが、じっと自分を見つめている目つきを見て、堰を切ったように恋心が溢れ出す。
健さんの額に載せた手ぬぐいをずり下げて目隠しをしてから、「あなた、私のことが好きなんでしょう」と、なんと相手に告白を迫るのである。
そのあとで「ごめんなさい。そんな目で見つめられると、女って自惚れるのよ」*1 だって。
できればこの場面、額に飾って手元に置いておきたい。
お決まりの殴り込みの場面の前には、もう一度この「目」を使った叙情シーンがあって、内心死を決意した健さんの顔を見た藤は、「違う、違う!」と叫ぶ。
なんのことだと不審顔の健さんに、あなたの目が違っている、あの目じゃない*2 と、マキノ流「女ならでは」の不思議な理屈を主張して、健さんも、観客も納得させる藤が凄いのだし、そんな女の理屈を創り出すマキノ雅弘はもっと凄い。
しかし結局藤は、父親から祝言の席で譲られた名刀・関の孫六を健さんに差し出すことになるのだが、盛装した芸者姿の藤が、鯉口に封をしたこよりを、真っ赤な唇からこぼれた白歯で噛み切るという、一瞬の耽美世界がある。
[以下結末ネタバレ]
単身やくざの組に殴り込んだ健さんだが、すぐにテキ屋のお友達の加勢もあって、みごと渡辺文雄を討ち取るのだった。
もちろん健さんは、素直にお縄を頂戴しようとするのだけれど、お友達が、逃げろ、逃げろとけしかけるものだから、本当に逃げてしまうという、驚きの反則結末。
ラストシーンは、浜辺でのびのびとバイをするテキ屋たちと、それをにこやかに見守る健さん一家。
数あるやくざ映画の中で、おそらく最もハッピーな作品なのではないだろうか。
*1 「ぼくはそんなこと、書きませんよ(笑)……あんな馬鹿なことを言うはずがない」(「映画脚本家 笠原和夫 昭和の劇」太田出版刊)
*2 「「そんな目で見るくらいだったら、さっさとやっちゃったらどう?」くらいのことを言うはずですよね(笑)」(同書)
(2003/12/18 中野武蔵野ホール)