★★★★
もうひとつの『犬神の悪霊』
『吸血鬼ゴケミドロ』(1968)で有名な佐藤肇監督が残した謎の怪奇映画が、シネマヴェーラ渋谷の特集「妄執、異形の人々II」のためにニュープリントされて、復活を遂げました。
http://www.cinemavera.com/schedule.html
結論から言うと、見よ!見よ!絶対見逃すな!、です。
最終日の10月12日まで、何度か繰り返し上映されるので、ほぼネタバレなしの速報・アジテーションを。
題名とスチルをみて、これはたぶん新東宝の『一寸法師』(1955)のせむし版みたいなもんで、西村晃の怪演が見どころだったりするんだろーな、とか想像してたら、甘かった、甘かった!
西村晃が「せむし」なのは、たんなる怪奇ムード作りのお飾りで、本筋は別ものなんです。
発狂死した男が残した別荘を訪れた縁者たちを、古風な洋館に取り憑いた悪霊が襲うという、なんと本格的な「家」もの映画なのでした。
なんたってワイズの『たたり』(1963)の二年後の公開というタイミングで、しかも当日のトークショーの木全公彦さんの話によると、『たたり』の存在が知られる前から企画を出して、通らずに悪戦苦闘していたらしい。
先を越された悔し紛れなのか、密室に閉じこめられた人々が異様な物音に囲まれたり、部屋のドアが霊の圧力で膨らんだり、といったシーンをちゃっかりパクってるし。
それにしても、とても65年公開作とは思えない、アイディアぎっしり感と謎の深さ……。
……とか思って見ておりますと、事態はさらに錯綜。
突然のイタコの霊媒(鈴木光枝)の乱入を経て、屋敷の主であった富永男爵(西村晃二役)のエロくどぎつい過去が明かされてみると、『たたり』なんてものは軽く超えて、一気に『ヘルハウス』(1973)に迫る異常性愛のどす黒さを先取りした映画なんじゃないかと思えてきます。
いや、先取りといっても、本作はまったくの手探り状態で、霊媒師のイメージがまだイタコしかなかったという状況で作られたもの。
それでも共通する雰囲気を感じてしまうのは、リチャード・マシスンも読んでいたであろう、ブルワー・リットンの怪奇小説「幽霊屋敷」みたいな古典が参考にされた結果なのかもしれません。
それにしても、霊媒がいきなりテーブルターニングをはじめたり、葉山葉子演じる少女がなにかに取り憑かれて、白いネグリジェ姿で燭台を掲げながら徘徊したり、西洋の怪奇映画のクリシェが引用される、その強引さにはびっくり。
呪われた部屋の中で、過去の幻影たちがSMチックな殺人の顛末を演じるのは、イタリア映画『幽霊屋敷の邪淫』(1964)そっくりだというのも、転用なのか、偶然の一致なのか。
そもそも呪われた家のなかで、義父が死んだ息子の嫁を襲う脇エピソードなんて、ゴシック小説の祖「オトラント城奇譚」を参照した名残なんじゃないのか。
もう、ストーリーの整合性なんてどうでもよくて、怪奇設定のてんこ盛りを、画ヅラの美意識だけでつないで見せたみたいな、めまいのするような傑作。
こりゃ『ヘルハウス』どころじゃなくて、洋風和製怪奇映画の表現が定型化してないにもかかわらず、表現できそうなアイディアはなんでもブチこんじゃえ映画――そう、1965年時点での『犬神の悪霊』ではないか!
巻頭の、炎の中から起き上がる焼死体のショックシーンが、『犬神の悪霊』の悪霊のラストシーンとつながってるっていうのも、(まさか意図的ではあるまい)奇妙な符号です。
こんな重要作を「せむし」の一言を含むという理由で封印してしまうのは、あまりにも馬鹿げている。
おいら子供の頃は、NHK教育テレビの人形劇でも「せむしの子馬」とか「イワンの馬鹿」とか、さかんにやってたんだけどな。 (2007/9/9記)
(2007/9/8 シネマヴェーラ渋谷「妄執、異形の人々II」)