★★★
妙な部分で楽しめる
[ネタバレ反転]
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ONLINE によると、「配給元のユナイトが'77年に“パラサイコ”シリーズと銘打って公開した恐怖映画の第2弾(第1弾は『キャリー』、第3弾は『オードリー・ローズ』)」なのだそうで、『オードリー・ローズ』との抱き合わせ廉価販売、ってのは粋な計らい。
原題の "Burnt Offering" は英辞郎に、「焼いた生け贄」「燔祭」などの訳が載っていて、「燔祭」というのは広辞苑によると「古代ユダヤ教で、供えられた動物を祭壇で全部焼いて神に捧げたこと」なのだそうだけれど、それほど深刻な連想を導く映画ではない。というか、かなり浅はかな映画です。
古びた家が [ 人間の生気を吸って新しくなる ] という題材自体は魅力的なものの、脚本と演出がショボすぎて、ドラマが盛り上がらない。
恐怖体験をすることになる一家が自動車で問題の「家」へ向かう導入部は、身も蓋もなく性急なくせに、「家」に到着してからの展開はじつに回りくどく、「家」もののホラーに求められる美意識や様式性がどうのという以前の場当たり的な演出によって、容易に予測できるオチへ向かうだけなのだし、人物の性格(とそれが変化していく過程)が一貫性を欠いてぎこちなく感じられるのは、不手際としかいいようがない。大仰な音楽をともなった思わせぶりな恐怖シーンの出し方も非効率的で、そのほとんどがあまり怖くない。
だからおもしろくない、というわけではないのが本作の不思議なところ。
だらしなく焦点が定まらない超常現象だとか、無責任に説明が放棄されたエピソードの累積だとかが、まるで「演出」されたものではないかのような、理屈を超えたリアリティを感じさせて、見ていれば何かおかしなものを目にできるのではないかという、奇妙な興味が持続する。
あるいは、映画が始まってしばらくすると、おそらく本作はセットを組む費用もない低予算作品で、ロケ用に家を借りただけなのだろうことがなんとなくわかってくるのだし、実際に持ち主が連続死したいわくつきの家なのだという宣伝文句も、その直感を裏付けてくれるのだから、どうやって家を壊さずに、それが生きているかのような恐怖演出をやってみせるのかを見届けてやりたくなってくる。
まず驚くべきは、(ストーリーの進行どおりに撮影を進めたのだと仮定すれば)撮影が進むにつれてロケ地がきれいになるという、後かたづけ不要の秀逸アイディアである。それだけではない。家を傷つけられないという最大の難関を、家が古い壁や屋根を
[ ボロボロと脱皮しながら新しくなる ] なんていう、苦し紛れから生まれたのだろう奇想天外なアイディアでクリアしているのが、笑っちゃうほど凄い。
それにも増して凄いのが、全体の見通しが立たない脚本や演出のせいで、なにをやっていいのかわからないかのような俳優たちの、暴走気味な熱演である。
「家」に取り憑かれる前から、鋭いヨリ目の視線があやしすぎるカレン・ブラック。
こんなマッチョが自制心を失ったらなにをしでかすかわからない、危ない予感をはらんだオリヴァー・リード。
『何がジェーンに起ったか?』(1962)の怪演で、すっかりホラーづいてしまったベティ・デイヴィス。
トビー・フーパー作品から抜け出してきたみたいな家主夫婦(バージェス・メレディスとアイリーン・ヘッカート)の、マッド感覚満点演技もじつに楽しい。
導入部とオチ、全体のプロットが、あまりにも『シャイニング』(1980)に似ているため、まるであの名作のパクリ企画のように思えてしまうのだが、もちろんこちらが先行作品。
作品的には「名作」に及びもつかないものの、「名作」に収まりきれない奇矯な味わいが、捨てがたい魅力を放つ作品なのだった。