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イン・ザ・ベッドルーム
In The Bedroom

監督: トッド・フィールド Todd Field

2001年

製作: Graham Leader, Ross Katz, Todd Field
製作総指揮: Ted Hope, John Penotti
原作: Andre Dubus
脚色: Rob Festinger, Todd Field
撮影: Antonio Calvache
音楽: Thomas Newman
出演: Tom Wilkinson, Sissy Spacek, Nick Stahl, Marisa Tomei, Karen Allen


★★★★みごとな問題作

マリサ・トメイがらみで観た。
物語の前半三分の一ほどのところで早くも、トム・ウィルキンソンとシシー・スペイセクが演じる夫婦の息子(ニック・スタール)が、年上のガールフレンド(マリサ・トメイ)の前夫から射殺されるという、いたましい事件が起こってしまうのだけれど、その後はさりげない日常風景の積み重ねによって、残された夫婦の静かな苦悶と悲しみが、じつに仔細に延々と描写される。
しかしたとえば、ごく普通のアメリカ映画らしく、その事件が社会的な波紋を呼ぶことで夫婦が救済される、といった、ありきたりな作品ではなかった。

[以下ネタバレ]
映画の半ばあたり、はね橋ならぬ回転橋とでもいうのか、通行止めにした橋の真ん中に取り付けた大きなネジを、守衛が体ごと円周運動をしながら回転させることで、橋を垂直に回して川に船を通す印象的な挿入場面があるのだけれど、それを見ながら、なんとなく小林政広 (「殺し KOROSHI」(2000))の名前を思い出していたのだが、その予感が適中した。しかも、終幕でテロップされた原作は、アンドレ・デュバス Andre Dubus の "Killings" という短編小説。

息子を失った夫婦の深い悲しみを描く、というヒューマンドラマが真の主題ではなく、良識ある初老の男性が、いかにして殺人を犯すに至ったかという犯罪物語を、演じる側にとっても、見る側にとっても、ぎりぎりの忍耐が試される平板な描写を重ねることで、さりげない日常から突出する暴力の意味と是非を問うことに着地する作品であることが、最後の最後にわかるという仕掛なのだった。しかもその「平板な描写」の部分が、じつに長い時間、まるで主題であるかのようにしか見えないのは、かなり底意地が悪い。

映画(とくにハリウッド映画)には、ジャンルに依存しながら発展した歴史があり、ジャンルそれぞれの守るべき約束事というものが了解されているわけで、また各ジャンル間にも相性があり、SFのように思えてじつはミステリーだった、というケースであればまったく問題がないのだが、本作のように、ヒューマンドラマのように思えてじつは犯罪映画だった、というケースは、限りなくルール違反に近い気がする。

殺人を終えて帰宅した夫に、「やってきたの?」と、夫の「計画」を知らないはずの妻が問う最後のシークエンスにおいて、映画は決定的にノワールな雰囲気を漂わせるのだけれど、ベッドに横たわった夫が指に巻かれたバンドエイドをはがして、(痴情殺人のメタファーとして幾度か漁の場面が挿入されていた)エビに挿まれた傷が癒えたことを確認するラストショットによって、それまで見てきたものが一気に意味を変えてしまうのだから、なんたる周到な構成だろうか。

小林政広が書く脚本にも、同様の意図的なルール違反を感じることがあるのだし、もう一つ思い出したのは「忘れられぬ人々」(2000)という、おなじくルール違反寸前の仕掛けを施した問題作のことなのだけれど、完全に破綻を繕いきれていないそれとは違って、ここまで見事に延々とシラを切り通し続け、しかもそれを完璧にやり通した本作は、見事というしかない (ジャンル詐称映画、なんて括りで、該当する作品を集めてみると、興味深い発見ができそうである)。

1964年生まれのトッド・フィールドは、「アイズ・ワイド・シャット」(1999)で主人公に秘密のパーティの存在を知らせるピアニストを演じていた役者で、本作が監督デビュー作らしい。
トム・ウィルキンソンとシシー・スペイセクのリアルきわまりない演技は、まるでイギリス映画を見ているよう。
コメディエンヌとして名が売れていたマリサ・トメイの転機になった作品で、「事件」後の、加齢を隠さないやつれた演技が見ものである。


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