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イージー★ライダー
Easy Rider

監督: デニス・ホッパー Dennis Hopper

1969年

製作: Peter Fonda
脚本: Peter Fonda, Dennis Hopper, Terry Southern
撮影: László Kovács
オリジナル楽曲: Roger McGuinn
非オリジナル楽曲: Steppenwolf, Smith, The Byrds, The Holy Modal Rounders, Fraternity of Man, Jimi Hendrix Experience, The Electric Prunes
出演: Peter Fonda, Dennis Hopper, Jack Nicholson, Antonio Mendoza, Phil Spector, Karen Black, Luke Askew, Robert Warker Jr., Luana Anders, Toni Bazil, Hoyt Axton


★★★★まとめきれない魅力

カルト、という言葉は、日本では特定の物好きが珍重するものの、一般には受け入れられない作品だとか、ときにはビデオ・バブル時代にリリースされてマニアックな話題になったものの、今では入手困難な作品といった、ごく限られた用法で使われたりもするのだけれど、欧米では作品がメジャーであるかマイナーであるかは問わず、リバイバル公開のたびに劇場に駆けつけるような、熱狂的なファン層を持つ作品、という意味に用いられているようだ。
その意味では、ものすごくカルトな魅力に溢れた作品なので、驚いてしまった。
というのは、日本でも「長髪狩り」がリアリティを持って感じられたり、ヒッピーのコミューンの生活がスキャンダラスな興味を持って伝えられたり、といったあの時代を経て、この映画がさかんにテレビ放映された時期になっても、ぼくはずっとアメリカン・ニューシネマというものに拒否反応を持ち続け、何度かテレビで観ようとして、途中でやめてしまっていたので、この「名作」を通して観るのは、じつは初めてなのです。

デニス・ホッパーによる音声解説によると、本作は「大手が配給した初のインディーズ映画」なのだそうで、物語性を無視した展開や、整合性を欠いたカット繋ぎ、即興的な演出など、今でこそ当たり前だが、当時は新奇に見られたのだろうと思われる部分が随所に見られる。
それらが「インディーズ映画」らしく、ぎこちない印象を与えることもないわけではなく、たとえば何度か用いられる、現在の場面と次の場面がめまぐるしく点滅する奇妙なカット繋ぎなど、特にその場所で使われる必然性は感じられないのだが、物語全体を、白昼の幻覚のように感じさせることにすこしは役立っているようにも思えるのだし、その手法は後半の娼館の場面でピーター・フォンダが自分の最期を一瞬垣間見る、名高い「未来予知ショット」の序奏にもなっている。

まだキャメラマンも決まっていない段階から、混乱のうちに撮影されたのだというニューオリンズのマルディグラの場面は、16ミリ撮影の粗い粒子とドキュメンタリー・タッチがあまりに唐突に思える。しかしそれがLSDによる幻覚シーンに結びつく編集には説得力があり、ふと画面に捉えられた工場から聞こえてくる規則的な騒音が、幻覚シーンを通じて心臓の鼓動のように持続するアイディアにも、原型的な面白さを感じる。
さらにはすばらしい選曲のサウンドトラックや、バイクで疾走する彼らの周囲に広がる、荒野や、モニュメント・バレーや、道路沿いの町並みは、問答無用の美しさ、力強さ、楽しさで観るものを惹きつける。楽曲の選曲は、当時のデニス・ホッパーの趣味そのものなのだそうだし、撮影をしたのは、ヴィルモス・ジグモントとともにハンガリーから亡命して職にあぶれていたラズロ・コヴァックスである。

荒々しく、やりたい放題のことをやっている野放図な魅力を持ちながら、一方で成熟した印象も与えるのは、本作がたんなる「アメリカン・ニューシネマの出発点」ではなく、それまでいくつかのジャンル映画が経験してきたものの累積的な結果でもあるからなのだろう。
デニス・ホッパーは本作を「西部劇だと考えて」(牧場の馬とバイクが、のどかに対比されるシーンが印象的だ)、あるいは69年という年に、「60年代の総決算」だと思って撮ったのだそうだし、一方でピーター・フォンダは、当時続けて主演していたバイク映画はもううんざりだ、自分はバイク版のジョン・ウェインになりかねないと思いながら出演したのだそうで、西部劇やバイク映画、あるいはさまざまなドライブイン・シアター・ムーヴィーの行き着いたところに、この映画のなにかかがあるのかもしれないが、それぞれのジャンルをよく知らないぼくには、よくわからない。

とまあ、考えれば考えるほどありきたりな感想しか頭に浮かんでこないのは、もちろんこの映画が喚起力に欠けるというわけではなく、(自分の知識不足に加えて) 今が古典作品になる途上の、中途半端な時期にあるからなのだ、と思う。あきらかに現代的な表現の源泉に位置していて、そのつながりが今も強いために、ふっきれた感想がとても言いにくいのである。
この時代の重要な時代背景である、ベトナム戦争の批判をあえて入れなかったというホッパーの的確な配慮も、本作の生命力を長引かせているのではないか。自由を愛するはずの国民が、じつは本当の自由を恐れているという痛切な逆説が、具体的ななにに対しても向けられていないことが、この映画の強さになっている。

さて、本作の製作にまつわる裏話は、「<映画の見方>がわかる本」(町田智浩著・洋泉社刊)という本に詳しく書かれているのだけれど、DVDの特典ディスクに収められたドキュメント映像を見ると、この本に書かれた内容は、実際のスタッフ・キャストの発言によってほとんどカバーされている。いや、それ以上の情報さえ得られてしまう。
DVDの特典映像の登場によって、主に海外の資料を調べて読者を啓蒙するという、映画評論家の「仕事」の一つが成立しなくなってしまったわけで、そのことに見る側も、評論家自身も気づいているのが、今の特殊な状況なのだろう。


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