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ジェーン・エア
Jane Eyre

監督: ロバート・スティーヴンソン Robert Stevenson 

1944年

      

原作: Charlotte Bronte
脚本: John Houseman, Aldous Huxley, Henry Koster, Robert Stevenson
音楽: Bernard Herrmann
撮影: George Barnes
出演: Orson Welles, Joan Fontaine, Margaret O'Brien, Peggy Ann Garner, John Sutton, Sara Allgood, Henry Daniell, Agnes Moorehead, Hillary Brooke, Elizabeth Taylor


★★★怪奇映画の佳作

継子虐めに学園もの、社会問題、恋愛ドラマ、社交界の描写、異国趣味、オカルトチックな予言、ミステリ、怪奇幻想、ゴシックロマン、信仰のドラマ、貴種流離譚まで、ありとあらゆる愉悦をこれでもかと詰めこんだ波瀾万丈の長編小説、シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』を大筋において省略無しに(セント=ジョン牧師のエピソードは省略)、なんと96分に圧縮したハリウッド映画。
古典的ハリウッドにおける語りの省略なんて、言っていられないほどの無茶です。

驚異の圧縮は、いかにして成し遂げられたのか。
これは驚きました。
原作小説らしき書物の文章にスポットが当たって、要所要所をヒロイン(ジョーン・フォンテイン)が朗読する、というかたちで、ことの成り行きをかいつまんだ部分をすっ飛ばすんですが、なんと、画面に映った書物に書かれているのは、原作の文章ではなくて、この映画のために作られたらしき文章なのです。
古典文学を捏造してまで、映画の語りに貢献させる、ハリウッドの傲慢にあきれる。

悲惨・陰惨なストーリーの合間を、ヒロインの不屈の機知と才気が駆け抜けて、自分の運命を自分で選び取る、近代的自我を備えた女性の誕生を肯定する清々しさが、なんといっても原作を読む楽しさだったんですが、あらかたの細部をカットしたこの映画において、その魅力はほとんど失われています。
おまけに、いかにも控えめで、眉を結んで寡黙に苦難を受け入れるジョーン・フォンテインがヒロイン役なわけで、オーソン・ウェルズが見せ場を独り占めするかのように演じるロチェスター様の男性的魅力に、彼女が屈服するという話になっている。
ブロンテが生きた19世紀よりフェミニズム的に後退した、米国マッチョイズムに支配された映画です。

しかし、極度の省略によって浮上したのは、この物語のゴシックロマン的側面で、怪奇・サスペンス描写が際だっている。
悲劇を予感して落雷に避ける庭樹だとか、蝋燭の光に照らされた回廊に踊る妖しい影とか、古城の屋上に佇む女の後ろ姿とか。
圧巻は、屋根裏の一室に閉じこめられた得体の知れぬ化け物が、錠の下りた扉をドンドンと叩き、恐怖におびえるフォンテインを、仰角でとらえたショット。
霧の立ちこめる陰鬱な古城を舞台にした、怪奇映画の秀作として楽しめたりする。

監督のロバート・スティーヴンソンという人は、のちにディズニー映画専属になって、『フラバァ』シリーズや『メリー・ポピンズ』、『ラブ・バッグ』シリーズなんかを撮っているんですね。
かなり優れた技巧の持ち主だけど、描写が即物的で叙情に欠けていて、なんでこの人にラブ・ロマンスが任されたのか、不思議に思えます。

演技や美貌はすばらしいのだけれど、大仰に悲劇ぶって気が滅入ってしまうウェルズとフォンテインに比して、ペギー・アン・ガーナー(少女時代のジェーン)、エリザベス・テイラー(慈善学校時代のジェーンの親友)、マーガレット・オブライエン(家庭教師時代のジェーンの教え子)という三人の子役が輝いているのが、この過剰におどろおどろしい映画の救いになっています。
とくに『若草の頃』の名子役オブライエンは、脱子役に失敗して、ジョージ・キューカーの異色の傑作『西部に賭ける女』(1960)で、自分自身の戯画のような悲惨な役を振られたのを最後に、長らくスクリーンを遠ざかることになるわけで、彼女の天才ぶりの再確認もできる映画でした。

書店扱いの500円DVD(画像右端)で観ましたが、画質はまずまず。

(DVD鑑賞 2008/03/27記)


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