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Yo, la peor de todas (I, The Worst of All)

監督: マリア・ルイサ・ベンベルグ María Luisa Bemberg 

1990年

原作: Octavio Paz "Sor Juana Ines de la Cruz o las trampas de la fe"
脚本: Maria Luisa Bemberg, Antonio Larreta
撮影: Félix Monti
音楽: Luis Maria Serra
出演: Assumpta Serna, Dominique Sanda, Hector Alterio, Lautaro Murua, Graciela Araujo, Alberto Segado, Gerardo Romano, Franklin Caicedo


★★☆ソル・フアナの愛読者にのみお勧め

日本未公開のアルゼンチン映画。
マリア・ルイサ・ベンベルグという女流監督のことは初めて知りましたが、過去に『カミーラ』(1984)が、岩波ホール配給で公開されているようです。

オクタビオ・パスの長編評論「ソル・フアナ=イネス・デ・ラ・クルスの生涯――信仰の罠」(林美智代訳 土曜美術社出版販売刊)を読んで、パスとソル・フアナにすっかり魅了されてしまっていたところに、同書の映画化作品があることを知って、さっそくDVDを取り寄せてみました(リージョンAll)。
焼き込み英語字幕、画質ビデオ並み、オリジナルの1.85:1のビスタサイズをテレビサイズにトリミング、という劣悪品質です。

ソル・フアナ=イネス・デ・ラ・クルスに関しては、下記のダイジェストを参考にしてください。

まずタイトルが「I, The Worst of All(私は最低の存在です)」。
美しい尼僧の半身像。
そしてケース裏には、こんな惹句が踊っています。

 修道院の壁の背後で涌き起こるレスビアンの情熱。
 魅惑的で豊穣でエレガント!――ボストン・グローブ紙

……とまあ、めいっぱい観客の劣情を掻き立てるプロモーションがなされているのだけれど、それについては米amazonのユーザーも、口を揃えて異議を唱えていますね。
ちなみに I, The Worst of All――私は最低の存在です、という表現は刺激的ですが、パスによると当時の修道僧が自己卑下をする際の決まり文句だったそうで、実際は字義云々ではなくて遂行文の一種です。

ソル・フアナの劇的な生涯のなかでも、三十代後半から死の年(四十三歳)までを圧縮して描いていた作品。
ただし史実どおり、というわけではなく、ソル・フアナの最大の庇護者であった副王夫人マリア=ルイサの在メキシコの時期や、ソル・フアナを破滅に追い込んだ大司教ドン・フランシスコ・アギアル・イ・セイハスの在任期間、ソル・フアナの母親の死、修道院での伝染病の蔓延といった重要な出来事の時間をずらして重ねることで、ドラマチックな効果の拡大を目論んでいます。

と同時に、舞台をほぼ修道院の内部に限定することで、空間的な圧縮も果たしている。
……というと聞こえがいいのですが、本作は驚くほどの低予算映画。
おそらく、ほとんどの予算は衣装に費やして、修道院の遺跡かなにかでロケ撮影しています。
史実だと、ソル・フアナが暮らした聖ヒエロニュムス修道院には広大な敷地があって、尼僧には独居房という名の戸建て住宅が与えられるんですが、本作では空間描写が曖昧にされて、尼僧たちはまるでアパート暮らしのようです。

窓から見える背景は、布に絵を描いたホリゾント。
副王宮殿は、狭い一室にカメラが固定されるだけで、窓外で波打つ海はビニール製。
わずかに二回、登場する野外のカットはほぼ地面だけで、セットや人馬の往来が影や物音で表現される。
はセリフを話す人物に極端に寄ったフィックスが多用され、背後には石壁があるだけという狭苦しさ。

「ソル・フアナ晩年の個人的危機は、17世紀末のヌエバ・エスパーニャの全般的危機の中においてこそ説明がつく」という主張のもとに、壮大なスケールで当時の社会とその歴史を活写したオクタビオ・パスの原作に比べると、なんという萎縮!
セリフのニュアンスがわからないってこともあるけど、小さな芝居小屋での会話劇仕立ての本作からは、「ヌエバ・エスパーニャの全般的危機」なんぞ感じようもありません。

最大のスペクタクルは、修道院内に伝染病が流行して、瀕死のシスターたちが病室で次々と嘔吐する場面を、カメラがドリーしながらとらえ、続いて感染を免れたシスターたちが贖罪のために自らを鞭打ちながら、血まみれになって回廊を巡回するシーンでしょうか。
ソル・フアナと同時代の詩人・作家であるシグエンサ・イ・ゴンゴラが、彼女の同情者となって教会と彼女の間を取り持とうとする、という設定はおもしろいのですが、大きな眼鏡をかけた剽軽な風貌の彼に、あまり奇抜なキャラクターが与えられていないのがもったいない。

修道院の庭の大きな木の根本でソル・フアナがでうたた寝をしていると、カメラが木の梢にティルト・アップして旋回し、そこにソル・フアナの詩の朗読(「最初の夢」の一節なのか?)がボイスオーバーされる、というシーンでは、せめてアニメーションでもいいから奇抜な幻想シーンが期待されたのだけれど、彼女はすぐに現実に呼び覚まされてしまう。

少ない予算のなかで、できるかぎり誠実な歴史ドラマを作ろうとした姿勢は、まあスクエアな批評家の推薦を得られるのかもしれないのだし、伝記で知ったソル・フアナの生涯の「名場面集」の映像を目にできるというのは貴重な機会なのだけれど、あまりにもこぢんまりとしてまじめくさった本作は、歴史探究趣味者向けの一種の教養作品にとどまっています。

ソル・フアナ役のアサンプタ・セルナは、ちょっと舞台型の熱演気味。
肖像画や作品、伝記からイメージされるソル・フアナ像は、もっと可憐で機知に富んだ女の子っぽさがあるんですが、彼女は世話っぽい感じが過ぎる。
副王夫人マリア=ルイサ役のドミニク・サンダもまったく色気無し。
これを観て、「修道院の壁の背後で涌き起こるレスビアンの情熱」を感じるというのは、まったくたいした想像力だとしかいいようがありません。

社会的になんの後ろ盾もない(それどころかマイナスの要素ばかり背負い込んだ)、才気に富んだ一人の少女が、明晰な知性の輝きだけを武器にメキシコ宮廷文化の花形になり、スペイン語圏文学の頂点に上りつめ、その栄光と賞賛の絶頂のさなかに、中世的な暗黒のなかに失墜するというソル・フアナの驚異の生涯を、(たとえハリウッドでもいいから)壮大な歴史絵巻の大作として映画化してほしいものです。

 

【ソル・フアナ=イネス・デ・ラ・クルスの生涯】 *1

平凡なクリオーリョ(植民地生まれのスペイン人)の庶民の母親を持ち、どこの誰とも特定のできない父親の私生児として生まれたフアナ=イネス(伝1651-1695)は、幼時から人文学の驚異的な才能を示した美少女として特異な存在だった。
十代で預けられた親戚宅から、副王朝の宮廷へ奉公に出るのだが、そこで各分野を代表する40名の博士たちの口頭試問にスラスラと返答するというパフォーマンスを見せつけ、マンセラ侯爵ドン・アントニオ=セバスティアン・デ・トレド副王夫人、ドニャ・レオノル・カレトのお気に入りとなる。
不倫と退廃が常態化し、爛熟の極みにあった宮廷で、宮廷的恋愛の妙味を会得し、当意即妙の華麗な韻文を紡ぎ出す少女は、周囲の賞賛を浴びる。

その後彼女が修道宣誓を決意したのは、副王の任期(1664-1673)切れとともに、ふたたび元の不安定な境遇に逆戻りを余儀なくされるのではないかという恐怖心からであって、彼女自身はまったく宗教的な人間ではなかった。
また当時の修道院には、厳格なものから緩やかなものまで、幅広い受け皿があり、実際ソル・フアナは、最初に入会した厳格なカルメル会を三ヶ月で逃げだし 会則の寛容な聖ヒエロニュムス修道院に入り直すことになる。
入会に必要な高額の持参金は、高名な神父ヌニェス・デ・ミランダの後押しによって、資産家の軍人の援助を得たのだが、その前後の詳しい事情は不明である。

ここで問題になるのは、当時のヌエバ・エスパーニャ(スペイン植民地化のメキシコ)における、(現代人が抱くそのイメージとは異なった)尼僧という特殊な存在である。
ヒエロニュムス修道院では、院外への外出は制限されるものの、宗教家としての最低限の勤めを果たしさえすれば、修道女の共同作業を押しつけられることなく、世俗文芸・音楽活動、経済活動による蓄財、訪問者との会見が許容される自由が与えられた。
そこは多少の活動の制限を我慢しさえすれば、ソル・フアナの目的である自由な読書と創作活動(百科全書的な知識欲と個人的文学テーマの追求)が保証される別天地である。
しかしそれは、つねに異端審問の恐怖に直面する、綱渡りの生き方でもあった。

ヌエバ・エスパーニャ唯一の正統宗教として君臨したカトリックは、(当時考えられていた発生の順列に従えば)エジプト、ヘルメス思想、ギリシア思想から、新プラトン主義、魔術、科学へとつながる異教の系譜を(そしてもちろんスペイン人による征服以前のアステカ帝国のケツアルコアトル信仰を)、当然のこととして異端審問の対象としたのだが、それら一部の判断を保留したり、功利的に容認して習合の対象にしたりという細い抜け道が存在したわけで、その隘路に文学者としての生死を賭けたのがソル・フアナだった。

社会的身分が皆無に等しい庶民の「私生児」として、著述の自由が与えられていなかった「女性」として、世俗活動を制限されるべき「聖職者」としての不自由に加えて、当時のヌエバ・エスパーニャの特殊性にもソル・フアナは縛られた。
メキシコの副王宮廷は、本国スペインのマドリッド宮廷の複製であり、その社会全体もまたオリジナルの模倣であったが、外界の影響を受けない――発展ではなく現状維持を目的とする――閉鎖的封建社会のなかでは、本国よりも不寛容な管理社会が現出する。
その一方で、スペイン人、クリオーリョ、メスティーソ、インディオなど、多様な構成員を擁する社会は不安定であり、そこに南国特有の放縦も加わって、副王と教会が支配する社会のパワーバランスは、絶えずゆらいでいた。

ソル・フアナは持ち前の文学的才能と時代を先駆けた合理精神を発揮して、宮廷への追従と教会への服従をちらつかせながら、巧みに困難な状況を泳ぎ切る。
ヨーロッパ大陸では既に開花しはじめていた科学に触れることのない閉鎖社会において、彼女は思想的にはアタナシウス・キルヒャーを範としてプラトン主義に遡り、文学的には同時代のシグエンサ・イ・ゴンゴラをライバルに、スペインのロペ・デ・ベーガやフランシスコ・デ・ケベードらのバロック芸術を統合する。

才女としての名声は高まり、彼女の独居房は知識人たちのサロンとなり、膨大な書物と珍しい贈り物(実験器具、楽器、美術・宝飾品)の貯蔵庫となる。短命のベラグア公爵(在位1673)、急場しのぎ的だったパヨ・エンリケス・デ・リベラ修道士(在位1673-1680)の副王治世をへて次に迎えた副王、ララグナ侯爵ドン・トマス=アントニオ・デ・ラ・セルダ(在位1680-1686)のメキシコ到来によって、彼女のキャリアは絶頂期を迎えた。
新副王の入市式に際して、ソル・フアナは凱旋門のプロデュースを任される。
ソル・フアナは凱旋門のデザインにおいて、副王をギリシア神話の異端の神、ネプトゥーノに喩えて賞賛し、さらに先住民族の神話の意匠を盛り込むという、大胆な試みを実行する。

副王夫人であるパレデス女伯爵マリア=ルイサ・マンリケ・デ・ララは、ソル・フアナの美貌と才能に心酔し、ふたりは堅い友愛で結ばれる。
ソル・フアナがマリア=ルイサに捧げた詩(副王夫人に対して「リシィ」と呼びかける)は、濃厚なレズビアン的友愛に彩られ、身分的服従と精神的優越を巧みに操ることになる。これらの詩編は、バロック文学の極地であると同時に、女性という性の権利も謳うことになる。そこには「魂には性別がない」という、新プラトン主義の(反教会権威的)主張も援用される。

そんな彼女の奔放な(当時の封建社会にあっては奇跡的な)世俗活動は、当然ながら教会権力の指弾を招く。
当時のソル・フアナの書簡『告解師への手紙(霊的弁明の手紙)』(1980年にメキシコ北部で偶然に写本が発見された)には、彼女の告解師であったヌニェス・デ・ミランダ神父の忠告に対して、機知と論理と文藻力と博識と(そして、副王権力を後ろ盾にした、若く綺麗な女性であること)を武器に反論する、はつらつとした才女の姿が垣間見られる。
同時にこの書簡は、新大陸におけるフェミニズムの最初の発露であるともされている。


すでにソル・フアナの文業は、当時のスペイン語圏文学界で採り上げられたほとんどのジャンルを網羅していた。
最終的には、二百数十編の詩編と百編を越える聖歌、多くの戯曲をものにするのだが、それらはバロック技法の集大成であるとともに、「私生児」、「女性」、「聖職者」、そして閉塞的な社会状況をかいくぐりながら(逆にそれゆえに)、近代的な自由意志を求める先駆的な表現となった。
神秘主義と近代科学の奇妙な折衷であるキルヒャー的世界やギリシア神話的世界を彷徨する魂を描いた長詩『最初の夢』は、自他共に認める彼女の代表作になった。

やがて副王は、銀製の義手を持つモンクロバ伯爵ドン・メルチョール・ポルトカレロ・イ・ラソ・デ・ラ・ベガ(1686-1688)から、ガルベ伯爵ドン・ガスパル・デ・サンドバル・セルダ・シルバ・イ・メンドサへと引き継がれる。
新副王夫人、ドニャ・エルビラ=マリア・デ・トレドとの友好関係とともに、スペインに帰国したマリア=ルイサ・マンリケ・デ・ララとの友愛も継続し、ソル・フアナは修道院の会計担当者としての手腕も発揮した。

旧大陸のマドリードではマリア=ルイサ・マンリケ・デ・ララの尽力により、詩集『カスタリアの氾濫』や『作品集第一巻』が出版され、スペイン語圏各地に熱狂的な読者を生む。名声と同時に手に入れた嫉妬、誹謗という、望まれない贈り物に苦しみながらも、ソル・フアナは多数の支持者に援護されながら、思索と空想と創作の自由を謳歌していた。
しかしその背後に、致命的な包囲網が準備されていることに、彼女は気づかなかった。

その頃、かつて副王も務めたパヨ修道士の後任として、ドン・フランシスコ・アギアル・イ・セイハスが、ヌエバ・エスパーニャ大司教に着任した。
徹底的な女性蔑視と世俗文学迫害の姿勢を貫くこの大司教は、イエズス会の先鋭的な代弁者として、厳格な規則の適用を要求した。自らも清貧を貫き、虱だらけの襤褸の衣装に、欲情を抑えるための自身への鞭打ちによる血をにじませている。極度の近視であり、女を目にしないでいられることを神に感謝している。軽挙妄動の傾向があり、激情的な采配は、たえず周囲を震撼させる。慈善行為熱に取り憑かれて、中間富裕層からの強制的な寄付を強要する。
女性であり、世俗文学者であり、建前としては宗教家であり、それなりの財産家であるソル・フアナにとって新司教は、何重もの脅威となる。

そこに、救世主が現れた(以後は決定的資料を欠いた仮説に過ぎないのだが)。
ドン・フランシスコ・アギアル・イ・セイハスと権力争いを繰り広げ、大司教職を逃したプエブラ司教マヌエル・フェルナンデス・デ・サンタ・クルス・イ・サアグンが、ソル・フアナに魅力的な取引を持ちかける。
それは、かつて失言問題で失脚した、セイハス一派のアントニオ・デ・ビエイラ神父を批判する評論をソル・フアナがプエブラ司教への私信として執筆する、その代わりにプエブラ司教は、彼女の評論を出版する、という、権力と文学のゲームだった。
ソル・フアナとしては、セイハス大司教への間接的な中傷で溜飲を下げ、有力者の後ろ盾のもとに自作を出版できる願ってもないチャンスであり、名声の絶頂にあった彼女がその申し出を断るはずもなかった。

1690年、その冊子、『アテネー書簡』は出版される。
しかし、驚いたことに『アテネー書簡』には、ソル・フィロテアなる架空の尼僧が、ソル・フアナの世俗文学活動をやんわりと(しかし根底的に)批判する序文が付されていた。
評論がプエブラ司教への私信として送られた以上、ソル・フィロテアの正体はプエブラ司教自身でしかありえない。
プエブラ司教は、ソル・フアナの名声を利用してセイハス大司教への批判を公表し、一方で教会権力に楯を突くソル・フアナの鼻をへし折り、自身は「匿名」と「ソル・フアナ批判」という二重の盾の影に隠れるという策謀を弄したのだった。

それでもソル・フアナは、自身の才能と副王宮廷、マドリッド宮廷の援護を信じ、『ソル・フィロテアへの返書』を執筆する。
これは、(彼女自身がその正体を察知していながら、あくまでも)ソル・フィロテアによる批判に反論するという形で、自身の生い立ちと女性が学問をする権利、宗教的文献の理解を(もちろん彼女にとっては建前としての)目的とした世俗文学研究の意味、表現の自由、そして自身の創作の苦悩と不屈の意志を散文で語った、画期的な文学作品となった。

けれども、歴史が彼女の意志を裏切る。
その頃、ヌエバ・エスパーニャでは天候不順と害虫の大量発生、日食、記録的な不作と、災害や凶兆が相次ぎ、食糧不足に危機感を募らせた群衆は暴徒となって、副王宮殿を襲撃した。
弱体化した副王権力はなすすべもなく、実際に暴動を鎮圧したのは教会の権威(ことにプエブラ司教の政治的采配)だった。副王の失墜と教会の権威の優勢が、白日の下にさらされる。
さらにスペインでは、ララグナ侯爵ドン・トマス=アントニオ・デ・ラ・セルダが急逝する。
ソル・フアナはメキシコとスペインでの後ろ盾の主柱を、同時に失うことになる。

孤立無援で異端審問の脅威にさらされたソル・フアナは、最後の賭に出る。
それは、『告解師への手紙』で、ほとんど愚弄するかのように袂を分かったかつての告解師であり、異端審問書審理準備委員でもあったヌニェス・デ・ミランダ神父にすがることだった。

宮廷の援護を失った修道女に対して、ミランダ神父はうってかわった高圧的な姿勢で「回心」を要求する。(資料的な空白のなかで推測するしかない)はかない抵抗の末に、1694年、ソル・フアナは世俗文学の放棄と信仰生活への専念を誓う誓約書に、自らの血で署名する。
彼女の書籍とコレクションは売却され、私財は大司教に没収される。
こうして、メキシコ最大の文学者として旺盛な創作活動を続けたソル・フアナは突如筆を折り、贖罪のために自らを鞭打ち、祈祷書の余白に「私は最低の人間です」と書き残すことになる。

追い打ちをかけるように、修道院を伝染病の猛威が襲う。
外出を禁止された修道院の内部は地獄の様相を呈していた。残された他の修道院の記録によれば、罹患をまぬがれた修道女たちは半裸で回廊を巡回しながら祈祷し、自らを鞭打ち、血の滲んだ肩に十字架を背負い、舌で地面に十字架を描いたという。こすれた舌はすり減って、血を流し続けた。
ソル・フアナは重症のシスターの看病によって伝染病に感染し、1695年に死去した。

 

*1 上の「生涯」は、主にオクタビオ・パスの上掲書を参考に、単純な一読者としての感想・解釈を交えながら書いたものです。パスの著書では慎重にその信憑性が検討されるエピソードを、安易につなげたダイジェストであることをご容赦下さい。個人的には、修道院の独居房に隠棲しながらも、書物と趣味のコレクションへの耽溺によって自己の世界を広げ、サロン的社交と宮廷的追従、熱烈な文通癖によって、自己の文才に魅了される支持者を釣り上げるソル・フアナの姿から、現代のオタクやネットの女王といった時代の風俗も連想したのだけれど、行為そのもの(レズビアニズム)を非難しても、その昇華作品には寛容な世論のあり方が、現状維持を目的とする社会の文化的爛熟に由来するのだとすれば、そこに今の日本の状況を重ねる空想も、そう的外れだと思えませんでした。

 (DVD鑑賞 2008/4/2記)


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