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エル・ゾンビ I 死霊騎士団の覚醒 (ビデオ題; エルゾンビ/落武者のえじき)
La Noche del terror ciego

監督: アマンド・デ・オッソリオ Amando de Ossorio 

1971年

脚本: Amando de Ossorio
製作: José Antonio Pérez Giner, Salvadore Romero
撮影: Pablo Ripoll
音楽: Antón García Abril
出演: César Burner, Lone Fleming, Helen Harp, José Thelman, Rufino Inglés, Verónica Llimera


★★★★重厚な美学によるゾンビ映画

スペイン映画史的に、というわけではないけど、熱心なホラーファンの間でのみ、なぜか名高いこの『エル・ゾンビ』シリーズがどんなものだか、このDVDボックスのおかげで、ようやく自分の目で確かめられました。
識者がその魅力を語り尽くしている付録冊子を読めば、いまさらぼくが付け加える情報なんて、なーんにもないんですけど、以下、備忘を兼ねた感想を書いておきます。

乾英一郎著「スペイン映画史」(芳賀出版)という、ジャンル映画を観るためにはあまり役立つわけでもない本を開いてみると、オッソリオ監督については、ほとんど名前のみが紹介されているだけ。この時期の娯楽作品については、「本来は低予算の娯楽映画を専門とする監督ではないと思われる人たちがこうした作品を撮った」のだとまとめられています。
おそらくは、昨日まで一般映画を撮っていた監督が、さあポルノを撮れという社命を受けた日活→にっかつの場合と同様の事態が、はるか彼方のスペインでもほぼ同時発生的に起こっていたわけですね。

オッソリオの場合、ジャンルを研究し尽くした上でホラーを撮ろうとしたのではなく、それまで独自に培った技術を応用しながら、一からの手作りでこのジャンルに挑んだわけで、そのへんに由来する独自な作家性は、同じスペイン(出身)の、もともとキワモノ資質だったジェス・フランコやポール・ナッシーよりも、濃厚に備えているようです。

この「エル・ゾンビ」シリーズ、実際はマドリッド近郊で撮影されたものの、フランコ政権下のファシズム政府の厳しい検閲の目を逃れるために、舞台はポルトガルだと設定されています。
友達との感情のもつれから汽車を飛び降りて、誰もいない修道院跡に宿泊をする若い女性が、まず最初の犠牲者になるんですが、ぼく自身、以前、ポルトガルの地方都市へ電車の旅をしたときのことを思い出すと、のろのろ動く電車の窓の外に冬枯れの荒野が広がり、丘の上に古い城や僧院だとか、崖に穴を開けて住処にした穴居住宅なんかが見えたりして、こういうところに放り出されたら、どんなことになるのかと、心細くなったことを思い出します。

さて映画では、若い女が訪れた僧院跡には、13世紀末に虐殺されたテンプル騎士団の墓があって、夜になると永遠の生命を約束された秘教の力によって、騎士たちが甦るわけです。
中世の秘教の儀式で騎士たちは、処女の生き血をすすることでパワーを得ていたため、甦ってからも若い女性を襲う吸血ゾンビになります。ボロボロの法衣をまとって、露出した顔と手は、ミイラ化した腐肉のこびりついた骸骨、というのが、シリーズに共通するゾンビのビジュアルで、この死者たちが墓から這いだすと、これまたボロボロの布をまとった馬にまたがった騎馬軍団が、どこからともなく現れて合流するのです。

人物の動きがかろうじて確認できるような、照明の乏しい画面のなかで、能楽を模したような動きのゾンビたちがじりじりと迫ってくる幽玄美が、このシリーズの生命なのだけれど、それを振り切って駆けだした犠牲者に対しては、騎馬軍団が迅速に追跡を開始して、すぐさま鋭利な剣を振り下ろすことになる緩急の対比が、たまらない魅力になってくる。
人も馬も、ほとんどボロ布をかぶっただけのお手軽メイクだとは、わかってはいるんだけど、主なロケ地になった廃修道院の荒れ果てたロケーションだとか、必要以上に暗い画質だとか、騎士たちの様式的な動きやスローモーション撮影だとか、あるいはイアンク・ドゥミトレスクまがいの、鮮烈かつケレン味いっぱいの音楽によって、麻酔をかけられたような感覚に陥ってしまうんです。

観ていて可笑しく、かつ感動してしまうのは、監督のこの一作に賭ける過剰な情熱と真摯な姿勢が、思いがけないところで画面にあふれ出して、律儀さゆえの違和感を招いてしまうところ。
列車の後部デッキにたたずむふたりの女性が、蒸気機関車のはき出す白煙に包まれて、過去のレズビアン体験を回想するんですが、なんとその回想シーンにまで、白い煙を漂わせている。
主人公の女性が経営するマネキン人形の工房には、人工的な深紅の照明が点滅しているのだけれど、バーヴァやアルジェント作品では無視されるだろうその理由が、階上にネオンサイン工房があるためだと、ご丁寧に説明されたりもします。
あるいは、映画の冒頭には、(ヨーロッパの古いホラーでは常態化している)こけおどしのショックシーン──白髪のおばさんが悲鳴を上げるショットが置かれているんですが、その女性が実は、殺戮から生き残った若い女性が、恐怖のあまり白髪になった姿だと最後にわかるという、誰も期待をしていない部分での辻褄合わせを、きちんと行っているところとか。

そんな過剰な情熱が堰を切ったかのように、端正なゴシック・ホラーの規格からはみ出して、恐怖の根元が白昼の日常世界へと一気に進出するラストシーンは、『サンゲリア』のゾンビ大行進よりもキレがいい。
黒沢、清水、鶴田のルーツはここにもあったのかと気づくと同時に、それらを経験した上でもシビれてしまう強烈なオリジナリティが感じられて、大好きです。 (DVD鑑賞 2007/9/12記)


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