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| ヨーロッパ映画 |
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| 愛の破片 監督: ヴェルナー・シュレーター 1996年
★★★★ 独仏合作。 この映画をほんとうに楽しめるのは、登場する歌手の大半を知っているようなオペラファンなのだろうし、もちろん声楽家(あるいは声楽家に関わりのある人)が観れば、それなりに教えられることがたくさんある。 まったく手加減なしに、本作はシュレーターの趣味一色に塗りつぶされた映画なのだが、そのことがはからずも、日本人の聴衆や演奏家が求めたり目指したりしている「クラシック音楽」というものと、欧州人があらかじめ本能的に把握しているそれとは、かなり別物なのではないかというおぼろげな印象を、具体的に補強してくれた気がしている。 それはたぶん、ここで採り上げられた音楽が、歌手という生身の人間が肉体という楽器を使って演奏する声楽であるからこそ、いっそう強烈に感じられるのだろう。登場する歌手たちはそれぞれ、文句なく優れた演奏を披露するのだが、それらは想像以上になまなましく、扇情的で、奇矯で、汗の匂いがするものだ。彼女らは美しいというより、怪物的であると言ってもいい。 例えばクラシック音楽の女声は、誰もが知っているようにソプラノ、メゾソプラノ、アルト(コントラルト)に分かれるのだが、さらにソプラノは(呼び方や分け方には異同があるようなのだが)、声域の高くて軽いほうから順に、レッジェロ、リリコ・レッジェロ、リリコ、リリコ・スピント、ドラマティコに分けられている。 かつての大御所、アニタ・チェルケッティ、リタ・ゴール、マルタ・メードルという三人の歌手の存在感も圧倒的だが、ダミ声の大迫力でクルト・ヴァイルを歌ったかと思うと「ノルマ」を歌ったりもするトゥルデリーゼ・シュミットの異様なキャパシティだとか、姉妹共演でベルリオーズのアリアを歌って、最後にキスまでしてしまうチーシンスキ姉妹の気持ちの悪さ、さらに濃厚な表情を浮かべながら、ベルクの「ルル」に登場するレズビアンの伯爵令嬢のアリアを熱唱するチーシンスキ姉、黒人特有の野太い声でベルリオーズの難曲を歌い、続いて黒人霊歌を歌うゲイル・ギルモア、レプリカントのような風貌で、カルメンや椿姫を軽くこなしてしまうジェニー・ドリヴァラなどなど、驚きの連続である。 彼女らの歌唱を伴奏するエリザベート・クーパーというピアニストの、どこか挙動不審な目つきの妖しさだとか、男性の音楽家たちが、あまり隠そうとせずに漂わせるホモセクシャルな雰囲気だとか、あるいはとんでもなく奇矯な音色を響かせる古いパイプオルガンや、ヨーロッパの古層を思わせる教会の調度や血まみれの聖画、演出としてときおり画面を横切る全裸の男といったイメージに埋め尽くされた本作を観ていると、彼らが深層で求めているクラシック音楽の音楽性というものが、よく言われるように普遍などではなく、もっと土着的ななにかに根ざしたものなのだという感想を抱かざるを得ない。 飛躍を怖れずに言葉を換えてみれば、例えば大島渚の「愛のコリーダ」では、芸者が藤竜也にまたがって交合しながら三味線をつま弾く場面があるのだが、欧州人というのはああいう場面を見て、これが日本の音楽なのだと心底納得するような人種ではないのかと思った、ということである。 同様のオペラ映画としては、シュミットの「トスカの接吻」が有名だが、本作ではオペラ演出家でもあるシュレーター自身が画面に登場し、歌手たちを演出したり、会話を交わしたり、フランス語、英語、ドイツ語、イタリア語が飛び交う中で通訳をしたり、歌手に触れ、抱き合ったりもする。歌手たちへの「崇拝」というよりも、「肉薄」というイメージが濃厚だ。 さてこのDVDは、オペラファンの購買層を当て込んで、伝説の歌手、アニタ・チェルケッティの歌声が甦る、という宣伝がされているのだが、これは過剰宣伝で、彼女はこの時点でほとんど歌声が出せない状態である。 インタビュアーとしてイザベル・ユペールが登場して、マルタ・メードルのレッスンを受け、かわいらしい(怪物たちを前にして、どうしてもそう感じてしまう)歌声を披露する。
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