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暗黒街の顔役

監督: ハワード・ホークス

1932年


★★★★ジャンルの高度な圧縮

本作を観てまず感じたのは(またしても強引におかしなことを言ってしまうのですが)、なんだ実録やくざ映画じゃないか、ということで、派手な血しぶきこそ飛ばないにせよ、一部では実弾を使用した*1 のだというリアリズム追求のエスカレーションや、実際のギャングの生態を参考にしたり、本物のやくざものを役者に起用したりという製作方針は、東映任侠映画が実録路線へと歩みを進めた過程と奇妙に一致する方向性を持っている。
戦前ハリウッドの本格的なギャング映画は、ほんの数年間の間に製作されたわずかな本数で、プロダクションコードの台頭によって、あるいは禁酒法の撤廃という時代背景の喪失によって、後続を断たれてしまうことになるのだが、この圧縮された歴史が約三十年後の日本の東映において、はるかに拡大された規模で展開され、十数年間にわたって隆盛を極めるのは、映画史の奇遇だと思う。

たぶん意識することなく本作から東映やくざ映画へと引き継がれたモチーフは、例えばざっと考えただけでも、ギャング (やくざ) のリアルな生態はもちろん、口笛を吹く殺人者(「網走番外地 望郷篇」)、本職やくざの起用(安藤昇)、近親相姦(「新仁義なき戦い 組長最後の日」)、異民族の問題(「やくざの墓場 くちなしの花」)、ベン・ヘクトによるオリジナル脚本のラストシーンで描かれていた主人公のふてぶてしい死にざま(「現代やくざ 人斬り与太」)などが挙げられるのだし、本作の物語世界を引き継いだテレビシリーズ「アンタッチャブル」を観た笠原和夫が、ドキュメンタリータッチのナレーションを「博奕打ち 総長賭博」に導入することを思いつき、それが実録路線を切り開いた「仁義なき戦い」の基本となる語り口を形成したことにも、数奇な因縁を感じるのだった。

本作そのものに関しては、まるで表現主義のサイレント映画のような導入部や、影の部分の多い、それでいて少しも暗さや汚らしさを感じさせない優れたモノクローム撮影はすばらしい限りだし、ハリウッド黄金期を確信させる水際だった演出を、これ以降のハリウッド映画では当分作ることができなくなったバイオレンス映画で堪能できるのも貴重である。
ギャング映画というジャンルをとくに偏愛するわけではないのだが、本格的なギャング映画を作る最後のチャンスだという状況下で、すべての基本的な見せ場を出し切った充実感には、神がかり的なおもしろさがある。脚本段階でそれにかかわるほとんどが削除されたとはいえ、スカーフェイスと妹の近親相姦的な愛憎も、じつになまなましく哀切で、古典的な悲劇の風格を備えた余韻を残す。

しかしのちにホークスが監督する「赤ちゃん教育」や「ヒズ・ガール・フライデー」といったスクリューボール・コメディの傑作に比べると、一貫したテンポ感に欠けているのは、ヘイズ・オフィスによる検閲の傷跡を払拭するに至っていないからだろう(検閲側の要求に沿って挿入された新聞社主の演説シーンは、見るからに蛇足である)。

DVDに収録されているは、主人公のギャング、スカーフェイスが警官隊に蜂の巣にされるオリジナル・ヴァージョンなのだが*2 、それすらも最終的にベン・ヘクトがまとめ上げた脚本からはるかに懐柔された映像だというのは、なんとももどかしいのだし、それに加えてIVCのソフトの劣悪な画質は、本作に関してとくに我慢ができない代物である。
きれいなニュープリントで再見できたときには、改めて星五つ、ということになるかもしれない。


*1 初期のやくざ映画は、警官に拳銃を借りて撮影されることもあったそうで、もしかすると実弾の一発や二発は発射されていたのではないかという気もする。

*2 DVDには、スカーフェイスが絞首刑になる、あきらかに現在のラストよりも劣っているが、当時の絞首刑の手順を克明に描写したり、代役の俳優の顔を映さないために、死刑囚の唐突な主観ショットが交えられたりもする、別の意味で興味深い改訂ヴァージョンのラストシーンも併録されている


[付録]
以下は、「ハワード・ホークス ハリウッド伝説に生きる偉大な監督」(トッド・マッカーシー著・フィルムアート社刊)の本作該当箇所を要約し、一部を補っただけの備忘メモです (引用はすべて同書による)。

1. ホークスとヒューズ
ハリウッドでの映画プロデュース業に進出し、興行的な失敗を経験した大富豪ハワード・ヒューズ(当時31歳)は、「暴力団」(1928)、「犯罪王リコ」(1930)などのギャング映画の成功を鑑み、「大衆がまだ見たことのない暗黒街ものの大作を世に送れば、絶対に大ヒットする」と確信する。彼がその監督として白羽の矢を立てたのは、大胆なアクションシーンを含む作品で実力を示し、飛行機、ゴルフ、女性などの趣味も共通するハワード・ホークスだった。
しかしホークスには、当時契約していたファースト・ナショナル(フィラデルフィア劇場チェーンの共同製作会社で、パラマウント、メトロ・ゴールドウィンと並ぶ当時のビッグ3の一つ)との契約が残されていた。彼は周到な権謀術数をめぐらせ、会社が提案した企画をはねつけてみせたことに発する訴訟騒ぎの末に、ヒューズの下で一本の新作を監督する権利を獲得した。

2. ベン・ヘクト
ホークスは、チャールズ・マッカーサーとのコンビで「ザ・フロント・ページ」などの傑作戯曲をものにしていた脚本家、ベン・ヘクトをチームに誘い込む。殺し文句は、かねてからベンのお気に入りであった、ボルジア家のアイデアだった。
「ベンよ、ボルジア家が現代のシカゴに住んでいるっていうアイデアがあるんだ。わかるな? 現代のボルジアはアル・カポネで、彼の妹がルクレティア・ボルジア同様に兄貴と近親相姦をやらかすんだ」。
実際にアル・カポネに会ったこともあり、シカゴにも詳しかったヘクトは、ヒューズに対して「これまでにギャング映画は五、六本作られてきていますが、私はそのどれに比べても死傷者の数を倍にして、二倍はおもしろい映画にしてご覧に入れます」と自信のほどを表明する。
結局、多忙なヘクトは、数人が関わった脚本家チーム内(「大脱走」の脚本家の一人、W.R.バーネットもその一員)で作品の骨子(ト書きの草稿)を作り、その仕上げを行っただけだったが、彼の参加によって脚本は、「ストーリーは非情の度を増し、人間の行動の動機付けと守勢に注ぐ目はよりシニカルになり、政治的現実の数々に対しても、より偏見の度を加え、完成した映画がそうである以上に、率直きわまりないものとなっていた」。

3. 配役
アル・カポネをモデルにした主役のギャング=スカーフェイスには、演技派の舞台俳優ポール・ムニ、彼の手下には、本物のギャングに関わりのあったやくざもののジョージ・ラフト、スカーフェイスの妹には、のちにホークスの愛人になるアン・ドヴォラックが配役される。
また、本作のコメディ・リリーフであるスカーフェイスの秘書役に、それまで端役にしか縁がなかったヴィンス・バーネット、スカーフェイスに敵対してボーリング場で殺されるギャングに、「フランケンシュタイン」(1931)のボリス・カーロフという異色俳優が起用された。

4. 撮影
撮影は1931年6月23日に開始された。ホークスは舞台のベテランと演技の素人を相手に、当意即妙の演出を施すことになる。冒頭のサイレント映画的なテクニックをはじめ、シルエットを多用した大量殺人シーンや、スカーフェイスの殺人を予告する口笛、ジョージ・ラフトが演じるギャングがコインをもてあそぶ癖など、印象的な演出がちりばめられる。
撮影を担当したのは、「普通の撮影監督の半分しか照明を使わない」名キャメラマン、リー・ガームスと、サイレント時代からホークスの信頼の厚いL. ウィリアム・オコネルである。
またホークスは、スカーフェイスの殺人の前に、彼の頬に刻まれた傷跡を思わせる何らかのX印(ボーリングのスコアのストライクの印やホテルの部屋のドアに掲げられたローマ数字など)を映し出したり、有名なトーマス・クック旅行社のイルミネーション("THE WORLD IS YOURS")を皮肉に使ったり、ヴィンス・バーネット演じる秘書にコミカルなしどころを盛り込んだりと、遊び心も忘れていない。
マシンガンによる襲撃シーンでは実弾が使われ、リア・プロジェクション方式で映し出されたシーンを背景に役者が演技をするという方法が採られた (ハロルド・ロイドの弟のゲイロード・ロイドは、銃撃シーンを見学中に銃弾が目にあたり、片目を失明することになる)。カーチェイスや銃撃などの大半を演出したのは、アクションシーン担当のリチャード・ロッソンだった。
当初予定されていた二十八日間の予定を大幅に越えて、六十日目(1931年8月末)にクランクアップを迎えた。公開予定日には11月28日が予定された。

5. ヘイズ・オフィスとの闘い
20年代に設立されたウィル・ヘイズ会長による全米映画製作者配給者協会(MPPDA=ヘイズ・オフィス)は、31年に一般規則を施行する。さらに34年には「映画製作倫理規定(プロダクションコード=ヘイズコード)」遵守を表明し、以後すべてのアメリカ映画に対して、脚本の段階から事細かな規制を加えるようになる。
1966年の廃止まで(実質的にはそれが骨抜きにされる50年代の半ばまで)、良くも悪くもハリウッド映画の本質に深い影響を与えることになるヘイズコードの形成期に製作された本作は、犯罪、暴力、人種的偏見、近親相姦の描写などのさまざまな側面から、MPPDAの格好の標的になった。
脚本の段階でいくつかの規制対象となるシークエンスが削除され、さらには 「スカーフェイスは歩道に崩れながらも引き金を引き続け、最後まで挑戦的で傲慢な言葉を吐き続ける」 という衝撃的なラストシーンも、改変を求められる。
結局ホークスは、スカーフェイスがぶざまに命乞いをするラストシーンを受け入れたのだが、ヘイズらはさらなるカットとラストシーンの変更(スカーフェイスが死刑を言い渡され、絞首刑が執行される別撮りのラスト)、あるいは市民のあるべき姿勢を主張する新聞社主の演説シーンの挿入を押しつける。それらが受け入れられた上でさらにMPPDA関係者は、あらゆる手段を講じて公開を阻止しようと画策した。彼らの強硬な態度に業を煮やしたヒューズの広報担当者リンカーン・クアバーグは、オリジナル・バージョンの試写会を強引に挙行する。
批評家の絶賛とマスコミを抱き込んだキャンペーンの加熱を追い風に、ヒューズは「検閲を気にしないで済む」ニューオリンズでワールド・プレミアを行って大成功を収め、徐々に公開地域を拡大して、ヘイズ・オフィスの妨害をなし崩しにする。
ニューヨークでの公開許可を得た改訂ヴァージョンの本作が封切られたのは、1932年5月半ばのことで、最初の脚本検閲以来、一年近くに及んだMPPDAとの闘争はとりあえずの幕を閉じた。作品は順調にヒットを飛ばし、熱心な観客はオリジナル・バージョンが公開されている近隣の州へ足を伸ばすほどだった。

 

[付録の付録]
「実録抗争伝・京阪神の首領(ドン)」
1974年 京都東映
監督……小沢茂弘
脚本……高田宏治
撮影……仲沢半次郎
音楽……渡辺宙明

配役
スカーフェイス……松方弘樹
スカーフェイスのボス……西村晃
ボスの情婦……ひし美ゆり子
スカーフェイスの妹……梶芽衣子
スカーフェイスの母……清川虹子
スカーフェイスの秘書……南利明
ジョージ・ラフトの役……(傷を隠した)安藤昇
ボリス・カーロフの役……汐路章
主任刑事……丹波哲朗

 


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