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赤い河

監督: ハワード・ホークス

1948年


★★★★★とてつもないおもしろさ

死に別れた自分の恋人を思わせる女、ジョーン・ドルーに出会ったジョン・ウェインは、「立って後ろを向け」と命令する。
女の尻に目を向けるなり、「財産を半分やるから、オレの息子を産め」というのだから、まるで家畜扱いなのだが、彼の超男性原理が正当化されざるをえない、法も刑罰も彼自身が決める世界を、ホークスはすこぶる魅力的に描いている。

コメディ・リリーフのウォルター・ブレナンは、ウェインの息子同然に育てられたモンゴメリー・クリフトと、流れ者の射撃の名手、ジョン・アイアランドという若者同士がいつか対決するだろうと予言する。
それを聞いた観客は、ジョン・ウェインのもとで若者同士の争いが裁かれるいつもの物語だろうとたかをくくるのだが、しかし物語は意外にも、ウェインの絶対的な父性が破綻するという、異様な状況にねじれこむ。
そこから立ち現れる、擬似的な「父子」の対決の圧倒的なスケールは、すさまじいばかりだ。

結局、モンゴメリー・クリフトとジョン・アイアランドの対決は実現しないのだから、ハッタリにひっかかったようなものだが、そういう細かいことを言ってもしかたがないと思わせるのが、いかにもホークスらしい。

それにしても、男たちが連れた一万頭の牛の群れの巨大な迫力は、たんなるスペクタクルも、シンボル性も超えて、ただそこにあるのが正しいという絶対的な説得力をもって、画面をのどかに横切り、不穏にうずくまり、暴走して人をひき殺し、線路を横切って列車を止める。
フォードの映画が見せる絶対的な絵画美とはひと味違って、運動のダイナミズムの中にあってこそ輝くといった場面が、充溢している。

引くに引けない「父子」の、男同士の対決が、一人の女にやりこめられるというオチの叙情性のなさが、なんとも愉快ですがすがしい。


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