★★☆
傑作ではないことの誇り
ジャンル映画というのは、観る側がすすんでその世界の内側に立たなければ、愉しみの享受が約束されない映画のまとまりでもあると思うのだけれど、なかでもとりわけマカロニやカンフーが排他的な印象を与えるのは、その内側と外側の境目がくっきりとしていて、しかも歴史的にほぼ閉じてしまったジャンルだからなのだろう。
では人は、どうやってその内側に入り込むのかといえば、ほとんどの場合はどんな物事も内側から見てしまう思春期にそれらを熱烈に受け入れてしまったからで、これがまあ、「中坊魂」というものなのだろうが、その点、「日本へ行ったら、必ず〈キディランド〉で一日中過ごすんだ!」(「BRUTUS」2003/11/1号)というタランティーノは、年齢にかかわりなく、常に内側に居続ける人間である。
ジャンルの世界では、外側からでもその面白さがわかるもの(例えばブルース・リーやクリント・イーストウッド主演作)はその外縁に過ぎず、コアに位置する作品は神格性を帯びながらも、それを外から眺める人間には、さっぱりその真髄がわからないものでなくてはならないから、いわゆる「傑作」などと軽々しく認められる作品は、そこに据えられることがない。
カンフー映画というジャンルのコアにある監督・俳優として、本作を観れば、当然そこに位置するべき一人だろうと思わせるのが、ジミー・ウォングなのだった。
さて、「外側」から見た本作は、かなりへなちょこです。
「両腕を大きく旋回させ、敵を威嚇しながらひたすら殴り蹴りあう」、「70年代の功夫映画特有のアクション」(封入解説書より)の泥臭い、素朴な味わいはまだ楽しめるのだが、メチャクチャなカット繋ぎや大げさな効果音、あまりにも唐突でブツ切りの音楽に対しては、大勢でスクリーンを見ながら笑い飛ばすのが健全なのだろうけれど、一人で画面を見つめながらそれらを受け止めるのは、なんだかむなしい。
本作できわだった存在感を見せつけているのは、主演のスター四人(ジミー・ウォング、チェン・シン、カム・カン、チャン・ユー)よりも、むしろ日本人俳優・鹿村泰祥であって、主役の四人をまとめて受けて立つ悪役として、不気味なオーラを漂わせている。
しかしこの悪役は、試合に臨むたびに「武」と書かれた扇子をかっこよく破り捨てて、また懐から新品の同じ扇子を取り出すのだけれど、これを五、六回ほど(数え直すのが面倒)も執拗に繰り返す。
善人側に危機が迫るたんびに、チャイコフスキーの交響曲の節をちょっと変えたみたいなファンファーレが鳴り響くのも、なんてクドいんだろう。
日本人が登場して威張っているから、物語の背景は日本統治下の台湾なのだろうが、さすがに台湾ロケ作品だけあって、壁に仁丹の広告がさりげなく貼ってあったりする。
鹿村泰祥による、波瀾万丈のエピソードが満載のオーディオ・コメンタリーはとてもおもしろくて感動的だが、なかでも封切当時、本作を観た台湾の観客が劇場でショック死してしまったというエピソードは凄い(なんだか、ガメラを見てイってしまう女、みたいな話じゃないですか)。
それこそマニアが目指す、究極のあるべき姿である(と、無責任発言)。