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活きる

監督: チャン・イーモウ

1994年


★★★☆器が大きすぎる贅沢

たくさん観てきた「文革」ものの映画では、やはりシェ・チン監督の「芙蓉鎮」が、ドラマのスケールといい、普遍的な訴求力といいベストだろうし、「下放」ものも含めるとなれば、チェン・カイコーの「子供たちの王様」も忘れるわけにはいかない。
資産家の息子(グォ・ロウ)がバクチに明け暮れている本作の冒頭場面を見た時点で、文革に関する本を一冊でも読んだことがあるなら、ああこれは、家財を失ったために、文革の批判を免れるという話だなと先が読めるはずだ。
しかし(政治的な葛藤を盛り込んでドラマを作り上げてきた、これまでの「文革」映画に比べれば)驚くべきことに、その後、物語は、共産党革命をごく一般的な市井の人として受け入れていくグォ・ロウの視線を出ることがない。革命がもたらすドラマの利用を最小限に抑えて、「禍福はあざなえる縄のごとし」ということわざそのものの、家族の物語に終始する。

これまで政治がらみのテーマを正面に据えなかった(といっても腰を引いていたわけではなく、全体主義のもとでの反権力の表示はとても微妙で、「秋菊の物語」にさえ、ある場面にメッセージが込められているのだというが)チャン・イーモウに、あえて他の監督に追随することを踏み切らせたのは、たとえさんざん語られ尽くした文革を背景にしても、前作の「秋菊の物語」でつかんだ市井のドキュメンタリー的な路線を発展させられるという、自負にあったのだろう。
ラストの山場になる悲劇的な出産のシーンでさえ、緩やかなサスペンスと、濃厚なユーモアを伴って描かれる、という徹底ぶりだ。

その結果、大エキストラを使った大作そのものの構えにもかかわらず、中身はこぢんまりとした人情話という、不思議な映画ができあがった。語り口は完璧で、主演のグォ・ロウとコン・リーの演技も非の打ち所がなく、何度も涙を絞られる(好きなのは、グォ・ロウが息子に「あとで父さんの影絵芝居を見に来い」と言うと、コン・リーが「行かないわよ、あんなもの」と悪態をついて、その後でニコリとするところ。いい夫婦だ)。しかし特大の器に、ほんの少しの美食を盛りつけてしまった違和感は免れない。
一種の贅沢だといえば、贅沢なのだけれど。

DVD特典内のメイキングでは、最後にこの映画が検閲にひっかかって、中国国内での公開がされていないというテロップが出る。
造反派の批判を受けた人たちに同情を寄せたり、紅衛兵の見習い看護婦たちが、窮地にあっておろおろしたりする場面がマズいのか、とも思えるが、先に原作は国内で出版されているのだから、問題はないはずだ。むしろ検閲する側を怒らせたのは、結婚祝いに贈った毛沢東の肖像を、送り主の区長が走資派だと批判された時点で、さあ困った、という感じで写したカットだったのではないか。
メイキング映像に過剰なほどに収録されている、監督とコン・リーの仲むつまじいショットを見ていると、どうも胸が痛んでしかたがない。他にはお決まりの予告編と、文化村での、見るからに不毛なイベントの模様が収録されている。


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