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底流
Undercurrent

監督: ヴィンセント・ミネリ Vincente Minnelli

1946年

製作: Pandro S. Berman
原作: Thelma Strabel
脚本: Edward Chodorov, George Oppenheimer, Marguerite Roberts
撮影: Karl Freund
音楽: Herbert Stothart
美術: Cedric Gibbons
出演: Katharine Hepburn, Robert Taylor, Robert Mitchum, Edmund Gwenn, Marjorie Main, Jayne Meadows, Clinton Sundberg, Kathryn Card, Leigh Whipper


★★☆不慣れなサスペンス作品

『ヨランダと泥棒』(1945)、『ジーグフェルド・フォーリーズ』(1946)という興行的失敗作を撮った後でミネリが手がけた、唯一のサスペンスです。
話の内容は『レベッカ』の規模を小さくしたようなメロドラマなのだけれど、夜のサスペンス・シーンが多くて、謎の美女が出てきて、しかもロバート・ミッチャムが出演しているので、フィルム・ノワールというべき印象を受けます。

過去の事情をセリフで説明しながら謎を解明していくこの手の映画を、英語の字幕さえない輸入VHSで観ると、ヒアリング能力がないから会話の細かい部分はさっぱりわからないんですが、それを保留しても、かなりつまらない。


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物語。
ヒロインのアン(キャサリン・ヘップバーン)は母親を亡くし、科学者の父(エドムンド・グウェン)の手伝いをしながら暮らしている。父親を訪ねてきた航空機会社の若い経営者、アラン・ギャロウェイ(ロバート・テイラー)に心を奪われ、あっという間に結婚式を挙げる。
夫妻はアランの仕事先のワシントンD.C. に行くのだが、天真爛漫に育ったヘップバーンは、社交界の雰囲気になかなかなじめないし、夫とわけありな様子の女性(ジェーン・メドース)の存在も気にかかる。そんな彼女を夫は優しくなぐさめ、パーティ用のイヴニング・ドレスをいっしょに選んでくれる。
ある夜アランはアンに、マイケルという身持ちの悪い弟の悪行を列挙し、彼が自分の心労の種なのだと告白する。夫の言動の端々にちらつく不審な影を、根が素直なアンは長く気にかけようとしない。

週末になって夫妻はヴァージニアに向かい、今は使用人のジョージ(リー・ウィッパー)が管理をしている夫の実家を訪ねる。そこではなぜか飼い犬のダルメシアンが夫を避け、厩では夫の馬が人影におびえている。物置の中に隠れていた気の狂った黒人は、アランが馬を虐めると叫ぶのだった。
夜になってアンが、ブラームスのコンチェルトの旋律をピアノで弾いていると、帰宅したアランは激怒して、彼女の演奏を止める。亡くなった母親が死ぬ間際に弾いていた曲なので、心苦しいのだという。しかしその直後にアンはジョージから、ピアノを弾いていたのは母親ではなく、音楽と詩を愛した弟のマイケルだと聞きだした。
無愛想な帳簿係が訪ねてきて、サンフランシスコで開かれる会議に出席するようアランに告げる。独り残されたアンは、謎の弟マイケルの情報を得ようと、彼がかつて所有していた牧場を訪ねる。親切な管理人(ロバート・ミッチャム)が近隣を案内してくれるが、マイケルの行方はわからない。その夜、牧場に宿泊した彼女は、夫のものではないジャケットと煙草を見つける。そのとき、夫のアランが部屋に飛び込んできて、余計な詮索をするなと怒鳴りながら部屋の中のものを乱暴に蹴散らす。
帰宅後に夫になぐさめられても、今度は不審をぬぐいきれない彼女は、翌日、以前パーティで顔見知りになった、夫の過去を知っていそうな女(メドース)を訪ねる。そこで彼女は女から、アランが非難する弟の悪事はすべて嘘で、それどころか弟の行方がわからないのは、アランが彼を殺したからではないかと聞かされる。

アランからの電話でヴァージニアの実家に行くように指示された彼女は、不審な男の影が屋敷をうろついていることに気づく。その男の影にダルメシアンがじゃれつき、彼が残した足跡には以前牧場で見かけた、煙草の吸い殻が落ちている。
その夜屋敷に到着したアランを庭で待っていたのは、弟のマイケル(ミッチャム)で、彼は以前、牧場を訪ねてきたアンに、自分は管理人だと名乗った男だった。
マイケルは兄が殺人者だと言ってなじる。アランは戦時中に、あるドイツ人から航空技術を盗むためにその男を殺害することで、現在の富と名声を得たのだった。そしてそんな汚い男にアンはふさわしくないと言って立ち去る。

アランが屋敷に入ると、アンは素直に自分が聞いた弟殺害の疑惑を夫に告げ、それでも夫の力になりたいと彼を抱きしめる。しかし翌朝になると夫は、アンが弟の幻影を愛していて、弟が生きていたほうがいいのか、それとも彼を殺した自分を愛するのかと彼女を責める。
倒錯した夫に身の危険を感じたアンは、屋敷を脱出しようとするのだが、すでに彼女を監禁するつもりの夫から行く手を阻まれる。おりしも近隣に住むフォスター夫人(キャサリン・カード)の訪問を受け、アンはお茶の誘いに応じて脱出のチャンスをつかもうとする。

三人は騎馬で山道を通ってフォスター夫人の家に向かうが、アランの馬は彼を乗せると猛り狂い、途中で彼を振り落としてしまう。医者を呼ぶためにフォスター夫人が走り去ると、気絶していたアランは起きあがり、先を急ごうとアンを促す。馬を進める彼らが崖にさしかかると、アランはアンを崖下に突き落とそうとする。
間一髪で夫の魔手を逃れたアンは、逃走中に木の枝にぶつかって落馬する。ぐったりとした彼女にアランは岩を振りかざし、とどめを刺そうとする。
そのとき、アランの馬はふたたび猛り狂い、蹄で彼を蹴り殺す。

後日、平穏を取り戻して、今は車椅子で療養をするアンを父親とフォスター夫人が見舞っていると、屋敷からブラームスの旋律が聞こえてくる。
アンが居間に向かうと、そこではマイケルが優雅にピアノを弾いている。
マイケルは改めて彼女に自分の正体を明かし、お互いに惹かれあいはじめた彼らは、ピアノを連弾するのだった。

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そもそもキャサリン・ヘップバーンが、たとえ夫が問題のある男であろうとも、ひたすら信じて従おうとする、か弱いお嬢さん育ちの女性に見えない。そんな彼女が、いかにも冷酷でインチキ紳士っぽいロバート・テイラーに惹かれて、即座に結婚を決意するという展開も納得できない。
ミッチャムがかっこよく正体を明かして、さてヘップバーンを救出するのにどんなアクションを見せてくれるのかと思ったら、けっきょくは馬まかせ。
手練れの作り手が多いサスペンスというジャンルのなかで、こういう不慣れな仕事に出くわすと、かなりがっかりします。

いやいや、陰影豊かなモノクロームの映像は美しく、ノワール的な雰囲気は充実しています。なにしろカメラマンは、『巨人ゴーレム』『メトロポリス』『魔人ドラキュラ』『キー・ラーゴ』などを手がけたカール・フロイント。的確な影と光の操作や、ドラマチックな移動の効果もお手のものです。

初めてサスペンスを手がけたミネリも、自分のテクニックを新分野に応用しようという努力を惜しんではいません。
パーティに臨んで鏡に向かって身繕いをするヘップバーンの鏡像に続いて、謎めいた女性(本作で売り出しをかけて、テレビスターになったのだというジェイン・メドース)がテーブルに映った倒立像で登場するという、鏡マニアのミネリらしい、映像の謎かけがあります。
あるいは、それぞれ黒と白のナイトガウンを羽織った夫と妻が決定的な対立を見せるシーンでは、画面の奥に配置された鏡が、彼らの衣服の一部を映して、黒と白に分断されます。
あるいはミッチャムの存在を影と犬の反応で表したり、テーマ曲にもなっているブラームスの歌謡旋律を効果的に使ったり、散発的によい工夫はあるんですが、あまり効果を上げていないんです。

きっとサスペンス映画というものには、作り手の子供っぽい悪意やサド・マゾ的要素が少なからず必要で、そういうものが原動力になってエピソードの持続力やカタルシスを生み出すに違いありません。
そういう要素が皆無で、しかもハッタリをかますことがないミネリの演出は、流麗さを優先するがゆえに、サスペンスらしい見せ場を置き去りにしてしまうのだし、そこに脚本の不出来とミスキャスティングが加わることで、明らかな失敗作をこしらえてしまっています。
まあ、誰にでも不得意というものはあるんでしょうね。

ちなみにこの映画、完全なブラック・アンド・ホワイトではなくて、室内シーンはかすかにモスグリーンに染色され、ラブシーンになるとその色が微妙に濃くなったりします。
こういう工夫って、往時は普通になされていたものなんでしょうか?

(22 August, 2006 ©taraga)


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