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いそしぎ
The Sandpiper

監督: ヴィンセント・ミネリ Vincente Minnelli

1965年

製作: Ben Kadish
原案: Martin Ransohoff
脚色: Dalton Trumbo, Michael Wilson, Irene Kamp, Louis Kamp
撮影: Milton Krasner
音楽: Johnny Mandel
出演: Elizabeth Taylor, Richard Burton, Eva Marie Saint, Charles Bronson, Robert Webber, James Edwards, Torin Thatcher, Tom Drake, Douh Henderson, Morgan Mason


★★☆ミネリ唯一の "きわもの" 企画

国内盤の中古ビデオで鑑賞。

幼い頃、テレビの洋画劇場で観ているはずの映画ですが、子どもが(大人も?)楽しめるような映画じゃありません。案の定、憶えていたのは、少年と動物が登場する場面だけでした。
しかしムード音楽の演奏やら喫茶店のBGMやらでやたらと聞く機会の多い(多かった)あのテーマ曲、 "The Shadow of Your Smile" だけは、いったん思い出すと頭のなかで(カラベリときらめくストリングスとか、サム・テイラーのムード歌謡のアレンジで)無限反復しはじめて、容易に消去できません。改めてオリジナルに接してみると、ギル・エヴァンスと組んでいた頃のマイルス・デイヴィスの曲のアレンジを節操なくパクっているのが可笑しくなるんですけどね。

公開当時に話題になったキャスティングと、映画から離れて一人歩きしているテーマ曲以外のことでは、一般の映画ファンからも、ミネリのファンからも、ほとんど顧みられない作品です。
なかなかソフト化や放映はされそうにないので、以下***線内に、結末までのあらすじを書いておきます。


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美しい画家のローラ(エリザベス・テイラー)と、9歳の息子ダニー(モーガン・メイソン)は、カリフォルニアの淋しい海岸で人目を避けるように暮らしている。
ある日、ダニーが猟銃で鹿を撃った事件をきっかけに、裁判所は母親から子どもをも引き離し、ミッション・スクールの寄宿舎に入れるように命じる。息子を自由奔放に育てているものの、自己流の教育に自信を持ったローラは、牧師であり、学園の校長でもあるエドワード(リチャード・バートン)に激しく反撥する。
ダニーを預かることになったエドワードと妻のクレア(エヴァ・マリー・セイント)は母親にも問題があると話し合う。

ダニーの荷物を受け取りにローラの家を訪問したエドワードは、規律ある集団生活の必要を説くのだが、自由な生き方に固執するローラとの議論は平行線をたどる。しかし、翼の折れたいそしぎ(磯鴫)を介抱する彼女の姿に、エドワードは好感を持ち始めている。
その後エドワードは、ゴルフを共にした学校の理事の一人、ヘンドリックス(ロバート・ウェバー)から、ローラが未婚の母なのだという話を聞く。

ふたたびローラのもとを訪ねたエドワードは、彼女から過去の話を聞き出す。
彼女はその美貌ゆえに、男たちの軽薄な視線に晒され続けた結果、17歳で妊娠しても、自分の表面しか見ない「男」というものを信用できなかった。結婚を拒んで赤ん坊と共に家出をし、男の所有物にならない、自由な自分を生きる生き方を選んだ。カリフォルニアに来てヘンドリックスと関係を持ち、彼の助力で美術学校で学んだが、学校を出ると彼との縁も切ったのだという。
エゴイスティックな学園の出資者たちと折り合いをつけながら、中庸な生き方を我知らず選んでいたエドワードは、彼女の力強さに心を動かされる。

エドワードは建設予定の新しい礼拝堂のステンドグラスの絵の製作をローラに依頼する。いったん仕事を引き受けたローラは、礼拝堂の建築に莫大な資金が必要なことを知ると、そのお金を奨学金に当てるべきだと言ってスケッチを暖炉に放り込む。宗教家としての価値観を揺るがされたエドワードは、思わず彼女に求愛の言葉を漏らしてしまい、苦悩する。

翌日、ローラを訪ねてきたヘンドリックスは、彼女とエドワードとの関係を疑いながらも、彼女に関係を迫る。間もなく離婚をする彼は、ローラとの結婚をほのめかすのだが、ローラは手斧を振りかざして男を追い払う。
その夜、エドワードは、裁判所からの通達を知らせるために、ヒッピーたちのパーティ会場にローラを訪ねる。ローラのボーイフレンドである芸術家仲間のコス(チャールズ・ブロンソン)にからかわれながらローラを連れだしたエドワードは、彼女を車で家に送りながら、彼女へのつのる思いを打ち明ける。海辺の彼女の家で、ふたりは結ばれる。

遅く帰宅したエドワードを、妻のクレアが心配している。彼は霧で車を運転できず、停車中に眠り込んだのだと嘘をついてしまう。
それどころかエドワードは、募金集めのために三日間サンフランシスコへ出張すると偽り、ローラを訊ねる。ふたりはボートで秘密の入江に食べ物を持ち込み、三日間の蜜月を過ごす。
ローラはクレアが妬ましくなったと打ち明け、初めて男を愛することを知ったと告白する。
ローラが傷の手当てをしたいそしぎはすっかり回復して、家の外へ飛び立とうとしている。

ローラとの逢い引きから戻ったエドワードは、学園の出資者でもある理事たちが集まるパーティに出席する。
そこで彼は礼拝堂の新設を中止し、貧しい子どもたちへの奨学基金を設立したいとスピーチする。理事たちから挙がる疑問の声に対して、エドワードは寄付が税金逃れのために利用されていることを批判し、今後はやましい金の受け取りを拒否することもあると激昂する。
あきれたヘンドリックスからローラの名前を持ち出された彼は、自宅に向かう車中で、妻に自分の不倫を告白する。ショックを受けたクレアは車を降り、一人で夜道を歩く。

その頃、ローラの家の前の浜辺では、彼女の絵が売れはじめたことを仲間のヒッピーたちが祝い、パーティが開かれている。そこへ、すっかり自分自身を失ったエドワードが現れ、ローラを海岸に誘い出すと、妻にふたりの関係を打ち明けたことを話す。
秘密の恋を憎むべき相手である愛人の妻に暴露され、怒りをあらわにするローラ。
そこへコスが割り込み、エドワードとコスは殴り合いを始める。
エドワードを呆然とさせたのは、コスに殴り倒されたことではなく、聖職者であった自分自身がすっかり変わってしまったことだった。

翌朝エドワードは妻と話し合い、校長を辞職して、僻地へ宣教の旅に出ることを告げる。
クレアはローラの存在が、寄付金集めに躍起になって初志を忘れたエドワードの心を、ふたたび純粋な信仰に向けさせたことのだと理解するのだが、妻として彼の行為を許せない。
いっぽうでダニーは学園生活に適応し始め、この土地を離れたくないと母親に告げる。
元気に飛び回るいそしぎを目にしたローラは、傷が治ればこちらは用済みになるのだとつぶやく。

終業式の日。
ダニーにせがまれて出席したローラを含む保護者たちの前で、エドワードは辞任のスピーチを行う。
エドワードは話のなかで、凝り固まった自分の目を開かせてくれたローラを讃え、彼女を忘れられない気持ちを暗に示す。
目を潤ませるローラと、複雑な表情のクレア。
式が終わり、後者の裏手で顔を合わせたエドワードとローラは、お互い触れもせず、静かに別れを告げる。

妻を置いて、独りでメキシコへ旅立つエドワード。
途中で車を降り、丘の上に立った彼は、浜辺でカンバスに向かうローラの姿を見つめる。
ローラがエドワードに気づいたとき、彼は海を背に歩き始めていた。

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書いていてちょっとバカらしくなってきたんですが、仕方がありません。
本作は『クレオパトラ』(1963)で不倫の愛を騒がれ、結婚に至ったリズとバートンのスキャンダルに当て込んだ見世物映画であり、小沼勝といどあきおが『軽井沢夫人』を作ったようなものです。

脚本は、いわゆる "ハリウッド・テン" の一人であり、『ローマの休日』の脚本を匿名で書き『栄光への脱出』で公の復活を果たし、『ジョニーは戦場へ行った』を自身で監督した才人、ダルトン・トランボ。さすがにプロットの破綻は皆無で、役目を完璧に果たしています。
ただし、主人公ふたりが愛し合うべくして愛し合い、お互いのイメージを傷つけることなく、おおかたの期待通りの悲劇的なラストを迎えるという筋書きが、あまりにもおあつらえ向きにできすぎていて、気恥ずかしくなります。
タイトルにもなっている「いそしぎ」の使い方なんて、うまいけれどもクリシェそのものでしかなく、けっきょくはカリフォルニアの海岸の美しい風景を見て、綺麗な音楽を聴いた印象しか残らないんですよね。

MGMとの最後の仕事がこういう雇われ仕事に終わったことは、ミネリにとっても不服だったはずです。
ここでのミネリは抽象的だと思えるほどに異物を排除したショットを並べて、絵画的な美しさを追求することに専念しています。
監督としての彼の仕事が印象に残らないとすれば、それはミネリが成し遂げた仕事と、MGMが守ってきた映像の作り込みのクオリティの高さとの、境目がわからないからなのでしょう。

しかしミネリこそは、初期の『若草の頃』(1944)でMGM映画のビジュアルの質を飛躍的に向上させて以来、会社のクオリティの基準になってきた監督です (さらに言えば、ずっとMGM映画に出演し続けていたエリザベス・テイラーも、この会社が誇る完璧なビジュアル効果の一つです)。
冒頭に置かれた、少年が鹿を撃ち殺すまでの無言のシークエンスは、神話の一場面のような気高さを感じさせる、ミネリの映像美の到達点の一つだと思います。

しかもこの映画の主題自体は、ミネリが半生にわたって描き続けてきたものと、それほどのズレがあるわけではありません。
自分の信念を曲げずに男を屈服させるヒロインは、ミネリ作品のほとんどに登場し、『若草の頃』や『踊る海賊』では、男性に暴力をふるうヒロインさえ描かれています (ついでにいえば『バラの肌着』では、ホモセクシュアルらしき男性が、男たち全員を打ちのめして、幕を閉じます)。
男に向かって斧を振りかざす本作のリズのように、フェミニズムの思想を備えたヒロインを描くことは、この時代のミネリにとっての必然だったのかもしれません。

そうはいってもリズとバートンのスキャンダルをどこまでもロマンチックに盛り上げる、本作の節操のなさには閉口します。
そもそもリズの役柄は、17歳のときに妊娠して9歳の子どもがいる(つまり26歳)という設定なのですが、当時33歳の彼女は、すでにかなり豊満になっていて、とても20代には見えません。カメラは「引き」の絵で構図を作るミネリの嗜好を離れ、そんな彼女のベストショットを収める役割に従属しているかのようです。
観る側としても、臆面のない嘘とストーリーの退屈は覚悟の上で、ひたすら映像の絵画的な美しさに浸るつもりで臨まなければならない映画です。

(17 September, 2006 ©taraga)


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