★★★
よくできた家族コメディ
「けっさくなエディ」というこの邦題、なんとかならないんでしょうか。
たしかに「エディのお父さんの求愛」という原題は日本語にしにくいんですが、「おませなエディ」とか「パパのラブハント大作戦」とかのほうがマシな気がします。
「底抜け」とか「凸凹コンビ」とかいった、ほとんど死語になった言葉というのは、奥ゆかしい雰囲気を醸し出すものなのだけれど、「けっさく」というのはいけない。この言葉、肯定的な意味では死語ですが、「けっさくな野郎だ」などという罵り言葉としては、かろうじて生き残っているわけで、「けっさくなエディ」というと、まるでうすのろの間抜けが主人公のようです。
実際にはエディは6歳の少年で、ロニー・ハワードが演じています。
そう、今や大監督になった、ロン・ハワードの子役時代の出演作なんです。
タイトル・ロールでありながら、エディは狂言回しのような位置づけで、妻を亡くしたばかりのモテモテのパパ(グレン・フォード)が、次の妻となるべく人の存在に気づくまでのお話。
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物語。
ラジオ局のディレクターを務めるトム(グレン・フォード)は、早朝から家事に追われている。今日は病気で妻を亡くして以来、初めて出社をし、息子のエディ(ロニー・ハワード)を学校に送り届ける日だからだ。6歳のエディはまだ、死というものを実感できないらしい。
さっそく雇った家政婦(ロベルタ・シャーウッド)は働き者だが、ブラジルに嫁いだ娘に会うために、始終スペイン語のレッスンをしているのが玉に瑕。アパートの向かいの部屋に住んでいる、亡妻の親友だった看護婦のエリザベス(シャーリー・ジョーンズ)は、いつもエディを気にかけてくれるが、トムとは感情のすれ違いから、ついケンカをしてしまう。
ある日、遊技場で遊んでいた父子は、グラマーな美女に声をかけられる。
遊技場内でネクタイにヌードを描く店のモデルをやってみたいが、痴漢に遭うのが怖いので、エディと一緒に店に入りたいと言うのだ。ドリー・デリー(ステラ・スティーヴンス)と名乗る彼女の話を聞いてみると、彼女は落ち着きがないというコンプレックスを克服するために、ミス・モンタナの自己改造セミナーを受講中で、講師の教えを守って、一日一回、怖いけどやってみたいことを実践するというプログラムを実践中の真面目な女の子なのだった。
翌日、トムが職場で、グルーヴィーの女の子たちをスタジオに入れてしまうDJのノーマン(ジェリー・ヴァン・ダイク)のプレイボーイぶりに手を焼いていると、ドリーがスタジオを見学に来る。
ノーマンは一目でドリーに魅了されて、自分とドリー、男やもめのトムとラジオ番組のゲストだったファッション・アドバイザーのリタ・ベーレンス(ダイナ・メリル)のダブルデートを計画する。
自宅では、流感にかかったエディをエリザベスが献身的に看病してくれる。トムは感謝するのだが、その気持ちを謝礼で示そうとしたトムにエリザベスがカッとして、またもやケンカ。
ボーリング場でデートした男女は意気投合し、トムとリタ、ノーマンとドリーのカップルが出来上がる。ドリーの自己啓発をおちょくっていたノーマンも、彼女がストライクやら飛び入りのドラムソロやらを次々と成し遂げる姿を見て、感服する。
しかしトムの交際相手は、エディの新しい母親候補でもある。
大晦日を共に過ごして、リタとの関係が深まったノーマンは、エディと三人で食事をするのだが、エディはツンとしたキャリア・ウーマンのリタに拒否反応を示す。
自宅ではエディの誕生パーティが開かれ、手伝いをしてくれたエリザベスを、エディはますます好きになるのだが、その直後に招かれたノーマンとドリーの結婚パーティでエディは、リタの顔を見て家に帰りたがる始末。家政婦までもが、エリザベスに肩入れして、父親とリタとの交際を毛嫌いしている。
エディはサマーキャンプに参加するが、父親がリタを連れて野球の試合を応援に来たのを見ると、とたんにがっかりした顔を見せる。
トムとリタは、自分たちの将来を話し合う。トムに嫌われていることを自覚したリタは、二人の新生活のために、エディを一時的にトムの兄弟の家に預けることを提案する。
その言葉にショックを受けたトムが返答に詰まっていると、エディがキャンプ場で行方不明になったという電話がかかってくる。
リタを置き去りにしてキャンプ場に駆けつけ、懸命に捜索するトム。そこにエリザベスからの電話があり、エディがアパートに戻ってきたのだという。大急ぎで自宅に戻ったトムは、今度はエディを叱る、叱らないで、エリザベスと大ゲンカをする。
エディと話し、自分とリタの結婚話が息子を悩ませているのだと知ったトムは、リタに別れの電話をかける。
次の休日に家政婦は休暇を取って、心配そうにブラジルへと旅立っていく。
落ち込んだ父親にエディは、エリザベスが父親を愛しているのだと巧みに納得させ、彼女をデートに誘うように促す。エディにせかされて、トムがエリザベスに電話をかけると、エディはアパートの廊下に飛び出して向かいの部屋のエリザベスに、電話を取らせる。
廊下の真ん中に立って、仲むつまじく電話で語らう父親とエリザベスの様子を、左右の部屋の開いたドアの奥に見いだしながら、エディは満足げにほほえむのだった。
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いかにも会社のルーチン・プログラムをこなした、という感じの、なーんてことはないファミリー・ドラマです。しかしあいかわらず手抜き感は皆無で、薄い内容ながらもトムの迷いと自己覚醒というテーマをきちんと語っています。
こういうものを与えられても、誰にも文句を言われないバランス感覚でキッチリこなして、しかもファッションや音楽シーンなど、お得意の要素で華を添えるのだから、ミネリは会社に信頼されて、ときにはわがままも許されたんでしょう。
しかも米国では1969年、2004年と、2度もテレビドラマ化されているので、かなりヒットしたのだと思われます。
ロン・ハワードは当時8歳か9歳になったばかりくらいで、設定年齢の6歳と言われてもおかしくない幼顔なんですが、まるでカメラを意識していないかのように、自然に振る舞っています。いかにも天使のような子供、じゃなくて、本当に幼くて、大人の世界を半分怖々と覗いているみたいな感じです。これで「幼さ」を「演じて」いるんだとしたら、たいした天才子役です。
妻を失ったばかりの中年男が、いきなり色恋にうつつを抜かすわ、亡妻の親友だった向かいの女は、あわよくばと次の妻の座をねらうわと、辛辣に言えば、かなり不謹慎にも思える話なんですが、そういう危ない話を上品にオブラートに包んで見せるのが、ハリウッドのコメディの典型なんでしょう。
ファニーな女の子か、良妻賢母型の昔なじみか、自立したトップレディか、という、恋人選びの選択肢のなかで、キャリアウーマンのリサが、子供嫌いの冷たい女に描かれているのは、今ならフェミニストの反感を買うところでしょう。
それにしても、自己改造に夢中のドリーを演じている、かわいらしいステラ・スティーヴンスは、『砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラード』『ポセイドン・アドベンチャー』『マニトウ』など、その他数々のB級映画に出演している女優さんなんですが、笑わせてくれます。
モノに憑かれたような姿勢で自己改造スクールの優等生を目指して、最後には人気スターとの結婚を手にするわけで、彼女の「自己実現」ぶりは、なんとなくミネリが(脚本家と共に)、自分の信奉する精神分析理論を茶化して作ったようにも思えます
(さらに1970年公開の『晴れた日に永遠が見える』では、精神分析そのものへの疑問が投げかけられる題材を選ぶことになります)。
パロディといえば、トムとデザイナーとの恋の成り行きは、ミネリの過去の成功作『バラの肌着』(1957)を思わせるんですが、『バラの肌着』と同じく、飼い犬を小道具に使った仕掛けはあからさまで、あまり洗練された印象を受けません。
ラストシーンで、エディが廊下の真ん中に立って左右をキョロキョロする場面は、ストーリー的にいっても、画面の左右の広がりを感じさせずにはいられない、秀逸な場面になっています。
なんでもない廊下に子供を一人立たせるだけで、ワイドスクリーンで映画を観ることの楽しさを実感させる、気の利いた職人技で幕を閉じる、非常にソツなく作られた、まとまりのいい小品でした。
(24 August, 2006 ©taraga)