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時計
The Clock

監督: ヴィンセント・ミネリ Vincente Minnelli

1945年

製作: Arthur Freed
原案: Paul Gallico, Pauline Gallico
脚本: Robert Nathan, Joseph Schrank
撮影: George J. Folsey
音楽: George Bassman
美術: William Ferrari, Cedric Gibbons
出演: Judy Garland, Robert Walker, James Gleason, Keenan Wynn, Marshall Thompson, Lucile Gleason, Ruth Brady


★★★★美しい音楽的映像詩

いったんはフレッド・ジンネマンが監督を任されたものの、主演のジュディ・ガーランドとうまくいかずに監督を降ろされ、企画自体が没になりかけたところを、ミネリが引き受けたラブストーリー。

ストーリーは、とくに詳述するほどのこともありません。
二日間の休暇をもらった兵士(ロバート・ウォーカー)が、初めてのニューヨーク見物で女の子(ジュディ・ガーランド)に出会い、急速に親密になった二人は駅の時計の下で待ち合わせをして翌日もデイトするのですが、お互いにファーストネームしか知らないうちに雑踏のなかではぐれてしまう。互いを捜し回り、時計の下で再会をして結婚し、男の帰隊のためにしばしの別れを迎えるという、ただそれだけの48時間の出来事を描いた作品です。

『バンド・ワゴン』の特典ディスクに収録されたミネリのドキュメンタリーで、この映画のすばらしい1シーン(駅の階段での再会場面)を目にして猛烈な既視感に襲われ (もしかしたら子供の頃にテレビの洋画劇場で観たのかもしれません)、絶対に観たいと思った作品で、例によって国内では観るすべがないので、米国からレンタル落ちビデオを取り寄せました。

ジャンルを形成するまでには至らないけれど、かつて合衆国では都市を主題にした描写音楽が、かなり好まれていたように思います。
ジャズと現代音楽を往復したジョージ・ラッセルには「ニューヨーク、N.Y.」という、ニューヨークを主題にした名作がありますし、チャールズ・アイブスには「宵闇のセントラルパーク」という、自動車のクラクションによって都市が目を覚ます様子を描いた管弦楽作品があります。チャーリー・ミンガスの「霧深き日」も同様のアイディアを取り入れた作品だし、ドン・フリードマンには「ア・デイ・イン・ザ・シティ」という、まさに都市の一日を描いたアルバムがあります。

あるカップルがニューヨークの昼と夜の名所を探索しながら、都市によって翻弄され、都市によって結ばれるこの作品は、まさにそういう「音楽詩」のようなものを、映像によって「作曲」しようとした試みだと、ぼくは思いました。

偶然の出会いから、たんにジョーとアリスという互いのファーストネームしか知らない間柄での、限られた時間のなかの恋、星空の下での抱擁、別れとすれ違い、そして再会、またしても訪れる長い別れ、などなど、メロドラマの要素が満載なのに、ちっとも感傷的ではありません。
これはメロドラマだと思って見終わってみると、結局は二人の男女が、ニューヨークという都市から疎外され、労働者階級の人々からあたたかい援助を受ける経験を通じて、いったんは都市と和解するものの、(暴力的な混雑や煩雑な結婚手続のために)ふたたび威力を剥きだしにした都市と戦い、最終的には勝利を得て凱歌を上げる、という物語だとしか思えないのです。
ラストシーンで、驚くほどあっさりとロバート・ウォーカーに別れを告げたジュディ・ガーランドが、結婚して一夜を過ごしたばかりの夫を二度と振り返らず、自分自身の戦いの勝利を噛みしめるかのような、満足げな笑顔をたたえながら群衆のなかに紛れていく様子も、その印象を強めるばかりです。

そもそもミネリはこの作品について、ニューヨークこそ第三の主人公だ、と言っていたそうです。
それまで無記名の群衆の集まりとして描かれていた「都市」が、はっきり一つの実体としてとらえられるのは、星空の公園でふたりが初めて抱擁するシーンです。ふたりは「都市の騒音」に耳をそばだて、それに包まれていることを確信することで、急速に愛の愉悦に包まれていきます。

この場面のためにミネリは、都市の音だけによって作られた管弦楽の小品を作曲させることを計画したのですが、その考えはMGMによって却下されたのだそうで、どうやらこの場面を、ミュージック・コンクレート(具象音音楽)による映像詩のようなものにしたがっていたようなのです。
彼の前衛的なもくろみは真に達成されなかったものの、周囲の闇の中に沈む都市の無機質なざわめきが反語的に掻き立てる生の歓びによって、若いふたりが天上で結ばれるイメージを与えられるこの場面は、それでもきわだって非凡な詩情をたたえています。

またこの作品は、ミュージカルではなく、しかもモノクロームで撮られているジュディ・ガーランドの主演作という点でも、非常に貴重です。
ミネリとジュディの結婚直後に撮られたということもあってか、ジュディの演技は驚くほど自然体で、薬物中毒や精神の病との戦いに明け暮れた彼女の人生にあって、最も彼女本来の人柄がにじみでた作品の一つだと考えられます。
ロバート・ウォーカーのセリフを聞く「受け」の芝居中も、絶えずセンシディヴに反応する彼女の演技は、通常の役者の何倍もの情報量を含んだ、まさに彼女の天才を感じさせるもので、しかもその容姿も、若さがもたらすみずみずしさの絶頂にあるかのようです。

二階建てバスの階上で、日に当たるとくしゃみがでてしまう体質なのだとロバート・ウォーカーに説明する、ちょっとあか抜けない様子だとか、美術館のなかでエジプトの遺跡の台座に腰掛けて、ハイヒールを脱いで自分の足をマッサージするくだけた仕草だとか、食事中に汚れたロバート・ウォーカーの軍服の袖を、会話を続けながらコップの水で湿らせたハンカチでサッと拭き取る世話焼きぶりだとか、まさに田舎から大都会に出てきて3年目のOL、という設定にぴったりで、しかもそれこそが、まさにジュディの魅力ではないでしょうか。
彼女の洗練には、洗練を否定しながら洗練を見せるという矛盾があって、その矛盾の繊細な振幅が、演技にダイナミズムを与えているのです。

そんなヴァイタリティを内に秘めた女性が、いつか「都市」をやっつけようと手ぐすね引いて待ちかまえていたところに、たまたま転がり込んできた「愛」の魔力によって、「都市」を踏んづけるパワーを得るまでの二日間を、音楽的な映像による叙事詩に仕立て上げる――ミネリの『時計』は、そんな大胆きわまりない試みを実践した、ミネリの特異な一面の原型を示したかのような「メロドラマ」でした。


参考書籍:
Stuart Hands "Love and the city: an analysis of Vincente Minnelli's The Clock"
Stephen Harvey "Directed by Vincente Minnelli"

(06 August, 2006 ©taraga)


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