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悪人と美女
The Bad and the Beautiful

監督: ヴィンセント・ミネリ Vincente Minnelli

1952年

  

製作: John Houseman
原案: George Bradshaw
脚本: Charles Schnee
撮影: Robert Surtees
音楽: David Raksin
美術: Cedric Gibbons, Edward C. Carfagno
出演: Lana Turner, Kirk Douglas, Walter Pidgeon, Dick Powell, Barry Sullivan, Gloria Grahame, Gilbert Roland, Leo G. Carroll, Vanessa Brown, Paul Stewart, Sammy White, Elaine Stewart, Ivan Triesault


★★★★異色の業界内幕劇

ヘンリー・シーハンのインタビューによると、『リリー』の監督を外された直後だったヴィンセント・ミネリが、脚本に惚れ込んで引き受けた作品だとのこと。
個人的な趣味からすれば、もっとミネリにしか出せないような奇妙な味の濃い作品が好みなのですが、ずば抜けた完成度を誇る力作であり、本作をミネリの最高傑作だと言うシーハンの意見にもじゅうぶん肯けます。

日本では、直訳とはいえインパクトの薄い、よく似た題名を連想させる邦題がついているために、かなりソンをしているのではないでしょうか。ロマンチックなイメージに反して、ハリウッドの大物プロデューサーの横暴ぶりを描いた、シリアスで辛辣な内容の作品です。
Slow Trainのコラムページには、山田宏一氏のすぐれた解説もあります。

出世作『若草の頃』(1944)ですでにカラーを使い、『巴里のアメリカ人』(1951)や "Lovely to Look at" (1952)と、続けざまにカラー作品を手がけて、カラーならではの表現を獲得していたミネリですが、こういう地味なテーマだと、まだ白黒で撮らされる、という時代だったんですね。
しかし、ストイックなまでにキャラクター描写に精力を集中させた演出を見ていると、色彩を奪われたことが逆に功を奏したのだと思われてきます。

物語は、カーク・ダグラスが演じる、デヴィッド・O・セルズニックをモデルにしたのだというプロデューサー=「悪人」に虐げられた三人(映画監督、女優、脚本家)が、過去を回想しながら彼の非道ぶりを告発する、というオムニバス形式で語られます。

B級映画監督の長年の夢だった企画を、脚本が仕上がった時点で横取りしたり、栄光の夢とセックスの魅力で吊り上げた女優を突き放したり、脚本家を缶詰状態にして執筆させ、邪魔な脚本家の奥さんをハリウッドスターと浮気をするようにし向けたり (脚本家の妻を演じたグロリア・グラハムが、愚かだけれどせつない、忘れがたい印象を残します。
彼が行うのは、組織の権力をかさに着た人間がなし得る非道の典型でもあり、だれもが身に覚えのあるだろう、裏切りの典型でもあります。きっと映画産業に身を置いたことのある人なら、なおさら痛くて痛くてたまらない話なんでしょう。

しかし、たしかにこのプロデューサーは「悪人」なんですが、いい映画を作る、という目的に外れたことは一つも行っていません。人間という意味ではなくて、映画製作者としては、良心の塊であって、酷い目にあったはずの三人が、けっきょくはその魅力にズルズルと引き戻されていく、という怖い映画です。
先にミネリが、キャラクター描写に注力した作品だと書きましたが、ダグラスが演じるプロデューサーは、一人の人間というよりも、ハリウッドそのものなんですね。

この誇大で危険な役柄を大熱演で体現しきった、カーク・ダグラスの「悪人」の魅力が、最大の見どころであり、ミネリも彼の演技に最大級の賛辞を送っています。

ミネリ:あれ [『悪人と美女』] は成功作だった。私はあの映画のほとんどの部分が大好きだよ。3人の人物からの視点がある作品だがね。ほとんど私が撮るはずだった『リリー』 [チャールズ・ウォーターズ監督、1953年、フランスが舞台で、レスリー・キャロンが主演したミュージカル] の代わりに私がそれを撮りたがっていると、 [ちょうど完成したばかりの『巴里のアメリカ人』人を引き合いに出して] 、ドア・シャーリー [MGM製作部長、1948-1956] は「君は何のためにそんなことをしたいんだ」と言った。私のエージェントでさえ、「気の乗らないストーリーだ」と言ったものだ。ああ、でも私はそうは思わなかったよ。主人公はすさまじい魅力を持ってなきゃならない。彼はいい映画を作るために母親を殺しかねないほどの映画狂だ。そんなことをやれるような魅力を持っていなきゃならない。まあ知っての通り、カーク・ダグラスには強みがある。彼はことさら演じなくても、まさにあの役におあつらえむきの役者だった。そんなわけで、彼は役の魅力を完璧に表現してくれた。あるシーンの撮影が終わったとき、彼は私に言ったんだ。「このシーン、自分でも魅力的だったと思うよ!」。彼が人を踏みつけにするときだって、我々はその魅力にこだわっていたよ。でもあの主人公は常に正しかった。[訳注:バリー・サリバンが演じた] 監督はいい映画を撮る実力がないのに、プロデューサーの手を借りている。脚本家の妻は脚本家をいらつかせてしまう。だから彼は、それらすべてを矯正した。しかし彼は力ずくでそれを押し切らなければならず、愛する人を傷つけてしまう。
だから彼は作品を仕上げた後で憂鬱になる。絶望してしまうんだ。「一体全体、なぜそんなものが大切なんだ」と。彼は懸命に働き、いきなりそれを放り出すんだよ。
(ヘンリー・シーハンによるインタビューより)

さらに本作は、当時のハリウッドの映画製作の現場を活写した作品として、映画好きを驚喜させるような描写をふんだんに含んでいます。
B級西部劇の撮影風景や、「猫男の悲劇」なるトラッシュ映画の企画、巨大なセットを組む歴史大作の裏側など、けっして華やかではない側面の、ハリウッドの裏側を覗くおもしろさがあります。さらには製作現場でのプロデューサーと監督の関係や、ハリウッドが脚本家をどう使ったのかなど、なんとなく知ってはいた裏事情が、リアルに描かれているのです。

ミネリの演出は力強く簡潔で、まったくムダを感じさせないのですが、一箇所だけ、彼らしいファンタジーが暴走した場面があります。山田宏一氏の文章でも触れられている、失恋のショックを受けたラナ・ターナーの運転する車が、激しくクラッシュする場面です。

車窓に輝く照明がめまぐるしく旋回し、ハンドルが無意味なほどにクルクルと空回りし、いつ果てるともなく車はクラッシュし続けます。放心状態のターナーは、泣きながらエクスタシーを感じているかのようです。
絶望の底にあっても、悲劇のヒロインを演じざるをえないという、女優ならではの「心理描写」にはちがいないのですが、決して狙ったわけではないのに、思わず作り手(ミネリ)の過剰な感情移入がこぼれ出たかのような魅力があふれた、いかにもミネリらしい名場面です。

ミネリのフィルモグラフィ中の異色作ではあるものの、代表作の一つだといえる、完成度の高い名作でした。

さて、本作の国内盤はジェネス企画から出ている、例によってそれほど画質も良くないし、特典も文字解説だけなのに高額なディスクです。

対する米盤は内容充実。
両面プレスのBサイドに、文字解説、本作予告編、ミネリ作品『明日になれば他人』の予告編(珍しい!)、そして87分にもおよぶ、ラナ・ターナーの伝記映画 "Lana Turner...A Daughter's Memoir" が含まれています。
ラナがデビューまもなく「セーター・ガール」とあだ名されるようになった "They Won't Forget" (1937) の、ノーブラにセーターを着てプルンプルンと闊歩する一場面に目を奪われたりするんですが……。

しかしこのドキュメンタリーの語り手である "A Daughter" っていうのが、なんとスキャンダラスなあの事件を起こしたシェリル・クレインその人なんですね (参考: http://www.ainoue.com/seirin/rana.html )。
問題の愛人刺殺場面も、かなりソフィスティケイトされてはいるものの、なんと再現フィルムになってます。

(02 August, 2006 ©taraga)


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