★★★☆
奇妙な魅力を持つ大作
『血と砂』で有名なヴィセンテ・ブラスコ・イバネスの小説を原作にした、1921年製作『黙示録の四騎士』
"The Four Horsemen of the Apocalypse" (監督:レックス・イングラム、主演:ルドルフ・ヴァレンチノ)のリメイク作品です。
メトロ社がゴールドウィン社やメイヤー・ピクチャーズと合併する以前に製作をしてヒットを飛ばした、会社にとっての記念碑的な大作でもある『黙示録の四騎士』のリメイクが畑違いのミネリに任せられたのは、コスチューム・プレイ大作『恋の手ほどき』を手堅く仕上げて、アカデミー賞を手にした実績を買われたからだと想像されます。
リメイクにあたっては、物語の背景が第一次世界大戦から第二次世界大戦に置き替えられています。
ミネリが戦争を描けるはずがないという予測どおり、戦争映画としては明らかな失敗作ですが、おそらく『走り来る人々』(1958)から始まるのだろう後期ミネリの奇妙な部分がことさら際立っているという意味では、ファンの関心の的となるべき作品でしょう。
米本国より先にDVD化されたフランス盤(リージョン2/PAL)の画質は優秀ですが、フランス語字幕しか収録されていないのが残念です。
以下、***線内はネタバレのあらすじ。
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巻頭言。
「1938年、険悪な雲は再び世界各国の空を覆った。我々は戦争を恐れた。そして平和を祈念した。しかし、いまだ不安の外にある場所と心乱されぬ男がいた。そこはアルゼンチンであり、男はマダリアーガという一老人だった。」
お気に入りの孫・フリオ(グレン・フォード)と狩りの旅に出ていた大地主フリオ・マダリアガ(リー・J・コッブ)が、セスナ機で領地に帰還する。屋敷では、一族が一堂に会する晩餐会が開かれることになる。
マダリアガにはルイサ(ハリエット・マクギボン)とエレナ(キャスリン・ギヴニー)という二人の娘がおり、それぞれフランス人のマルセロ(シャルル・ボワイエ)とドイツ人のカール(ポール・ルーカス)と結婚している。
マルセロとルイサにはフリオとチチ(イヴェット・ミミュー)の一男一女が、カールとエレナにはハインリッヒ(カール・ベーム)、グズタフ、フランツという三人の息子がいる。
戦争を嫌うマダリアガは、暖炉の薪架に征服・戦争・悪疫・死を表す黙示録の四騎士を飾って戒めとしている。宴席では一族を前に、ナチズムの危険性を揶揄するのだが、カールの一家がナチズムに心酔していることを知って激怒する。ハイル・ヒトラーを唱えるハインリッヒを殴りつけたマダリアガは、嵐の庭で激昂のうちに息絶える。祖父を看取ったフリオは、夜空に暗雲を駆ける四騎士の幻影を見る。
同年のパリ。
家長を失ったマダリアガ家の娘を主婦とする二家族は、それぞれフランスとドイツに戻って暮らしている。
連日のパーティに明け暮れるプレイボーイのフリオには、マルゲリート・ロリエ(イングリッド・チューリン)という意中の女性がいるのだが、彼女はジャーナリストのエティエン(ポール・ヘンリード)を夫に持つ人妻である。
1939年。ナチズムの嵐が吹き荒れるベルリンでは、党大会でヒトラーを讃えるカールとハインリッヒ父子の姿がある。
その頃フリオは競売開場で声をかけたロリエ夫人をデートに誘い、夜のセーヌ岸で彼女の唇を奪う。ドイツはワルシャワを侵攻。英独も大戦に参戦し、フリオは父親に疎開を持ちかけられるが、ロリエ夫人がいるパリを離れられない。夫人の夫が出征すると、フリオは彼女に無言で部屋の鍵を渡す。空襲警報が鳴り響く夜、独り寝の不安に耐えきれない彼女は、フリオのアパートを訪ねるのだった。
やがてパリにドイツ軍が侵攻し、パリじゅうが不安に沈むなかで、マルセルの一家はナチスの幹部になったカールとハインリッヒ親子との再会を果たす。日ごとに関係を深めるフリオとロリエ夫人がナイトクラブで踊っていると、ロリエ夫人に目をつけたドイツ将校が彼女との同席を望む。フリオは彼女が自分のものだと言い放って楯を突き、その場に居合わせたハインリッヒに窮地を救われる。フリオはロリエ夫人との結婚を真剣に考えはじめている。
パリの街角では、ヒトラーの書籍を扱う書店が市民に投石される事件が発生。騒ぎに巻き込まれたフリオの妹のチチがゲシュタポに逮捕される。カールの口利きでチチは釈放されるが、以後彼女は、レジスタンス活動に没頭することになる。
一方、ロリエ夫人は、自宅の前で帰還した夫のエティエンに出会う。彼女とフリオの関係をすでに知っていた彼は、絶対に離婚をしないと言い残し、廃人のような足取りで夜の町に消えていく。
ドイツ将校たちと親密な関係を持つと思われているフリオは、レジスタンスにマークされている。ある夜彼は、自分を監視する若者たちを逆に尾行し、彼らの隠れ家らしき建物で頭を強打される。連行され、幹部に出会った彼は、レジスタンス活動への参加を希望する。ドイツ将校の軍用車爆破に一役買った彼は信用され、地下鉄駅で仲間の女性に機密書類を渡す連絡係を務めることになる。
しかしフリオは社交界ではドイツ将校たちと親交を深め、いまや夫婦同然に暮らすロリエ夫人にも秘密を打ち明けない。ゲシュタポに目をつけられた連絡係の女性をかばったことで、彼の活動は危うく暴かれそうになるが、ゲシュタポを線路に突き落として殺害し、危機を脱する。
ロリエ夫人を訪ねたフリオは、エティエンがゲシュタポの拷問を受け、介護が必要なことを知らされる。しばらくは夫の世話をしたいというロリエ夫人の願いを聞き入れ、フリオは彼女との一時的な別れを決意する。
翌日フリオは、いつもの連絡係の女性をつかまえ、レジスタンスの拠点である工場へ強引に潜入する。作業場の屋根裏で彼が出会ったレジスタンスの指導者は、なんとエティエンその人だった。
身辺に迫る危険を感じていたフリオは、エティエンにパリを離れたいと申し出るのだが、断られる。その夜フリオは、ドイツ人将校たちが享楽に興じる社交界に、黙示録の四騎士の幻影を重ねる。
その頃、ドイツ軍の司令室をふたたび訪れたマルセロは、レジスタンス活動でゲシュタポに捉えられたらしいチチの行方をカールに訊ねる。しかしすでにチチは死亡していた。娘の死を嘆くマルセロに、カールは自分もグズタフとフランツの二人の息子を戦場で亡くしたのだと、言葉を詰まらせる。
土砂降りの橋の上にたたずむ父親からチチの死を聞いたフリオは、自分もレジスタンスの一員であることを告げて、父親を絶望させる。
レジスタンスの拠点に召喚されたフリオに、幹部たちはドイツ軍機甲部隊ノルマンディー本部の詳細な位置をロンドンに伝え、米軍の攻撃目標をあきらかにする作戦を明かす。そのためにはフリオが、機甲部隊に所属する従弟のハインリッヒとの関係を利用する必要があるという。厳重な警戒下にある本部にハインリッヒを訪ねる決死の侵入計画に、いまやフリオは進んで身を投じる決意である。
帰宅したフリオは、自分の元に戻ってきたロリエ夫人の姿を見いだす。ふたりが再会の一夜を共にした翌朝、レジスタンスの自動車がフリオを迎えに来る。運転手が夫の友人だと気づいたロリエ夫人は、フリオもレジスタンスの一員であることを知ることになる。永遠の別れを予感しながら、ロリエ夫人はフリオを見送る。
父マルセロにも別れを告げたフリオは、運転手から作戦の詳細を聞きながら、従弟の訪問を装って厳戒地帯へ侵入する。次々に検問をパスするフリオだが、このときドイツ軍の上層部は彼の活動を察知していた。
本部前でハインリッヒがフリオを出迎えるやいなや、運転手は射殺される。しかしすでにフリオは、車のシガレットボックスに隠された、信号の発信ボタンを押している。
本部の一室でフリオと対面したハインリッヒは、なぜ彼がレジスタンス活動に参加したのかと問い詰める。そのとき、轟音が鳴り響き、米軍による一斉空爆が開始される。みるみるうちに窓外に広がる炎の海に、ハインリッヒは「これは君がやったことなのか……」と唖然とする。
フリオが最期に目にしたのは、崩れ落ちる屋根の下敷きになる従弟の姿と、黒煙の中を駆け来る黙示録の四騎士の幻影だった。
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こういった大河ドラマふうの戦争歴史大作を手がけるにあたっても、ミネリは自己の作劇法をかたくなに守っています。つまり主人公であるフリオの主観や、少なくともそれに準ずる視点を、けっして離れないのです。
作中では、「黙示録の四騎士」が天空を駆ける幻影シーンが、三度も繰り返されます。
ヘンリー・シーハンによるインタビューでミネリは、オリジナル(レックス・イングラム監督の『黙示録の四騎士』)にもあったから、あの奇妙な幻想を登場させたのだと説明していますが、第二次世界大戦という時代設定におよそふさわしくないそれは、リアルな戦争映画を見慣れた観客の失笑を買いかねない大時代な代物だと思われます。
しかし驚くべきは、ミネリの次の発言です。
「だから私はあれ [四騎士]
と同じ像を暖炉の薪架に置いて、炎に包んで見せたんだ [マダリアガ家の暖炉の扉柵には、人間の悪を象徴する征服・戦争・悪疫・死の四騎士の像が据え付けられている]。そうでなければフリオはあれをイメージできないだろう。」
ミネリはこの幻影を戦争のシンボルとして登場させることよりも、むしろフリオの主観によるイメージとして扱うことにこだわっているのです。
いわゆる「神の視点」を持たずに、叙事詩大作を描けるはずはありません。
しかし主観描写主義者ミネリの姿勢は、なにがあろうと徹底しています。多彩な人物が歴史の渦に巻き込まれる一大ロマンを、個人的な心理劇として扱い通した結果、本作では戦争と恋愛、一族の愛憎劇と幻影が、まるで一つながりのファンタジーのように感じられます。
ラストの空爆以外は、戦闘場面をすべてフィルターをかけたニュースフィルムや絶叫する人々のエイゼンシュタインふうモンタージュで象徴的に処理しているのに、社交界を描く場面の重厚な色彩感覚や、パリの風景を収めた構図の美しさには心血を注いでいるふうであることもまた、本作のファンタスティックな印象を強めています。
結果的に、冒頭のアルゼンチンのダンス・シーンで木の枝に配した色とりどりのオウムの群れだとか、セーヌ川を挟んだ遠景にノートルダム寺院を配した移動撮影の繊細さだとか、グレン・フォードとイングリッド・チューリンが抱擁しあう公園の池に浮かんだ黄葉の美しさだとか、そういった主人公のパーソナルな名場面が、凱旋門をくぐるドイツ軍の行進の構図のすばらしさや空爆の炎の色彩美といった、社会的な大事件の表層的副産物と並列してしまうことになるのです。
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という映画のトリビア・サイトによると、ミネリは主人公のキャスティングに、アラン・ドロンを希望していたということです。これが事実だとすると、ミネリはこの大作を手がけるにあたって、もしかしてヴィスコンティあたりを意識しながら
(ドロンが出演した『山猫』は翌年公開)、自身のヨーロッパ趣味を完結させようともくろんだのかもしれません。
おそらく同様に国際性を添えるために配役されたのだろうスウェーデン人のイングリッド・チューリンは、英語のセリフがつたないという理由から、MGMによってアンジェラ・ランズベリーによるアフレコを強要されたのだそうで、甘え澄ましたような吹き替えの音声は、チューリンのアダルトなムードを台無しにしています。
チューリンの美貌や演技自体はすばらしいのですが、マダリアガ家の家長役のリー・J・コッブの演技は滑稽なほどに大仰だし、見るからに堅実で地味な印象のグレン・フォードには、退廃的なプレイボーイの役柄がふさわしいとはいえないし、おまけに唐突な四騎士の幻想は挿入されるしで、いかにもギクシャクとしそうな物語が、結果的に流麗な語り口を感じさるのがなんとも不思議です。
ミネリの徹底した心理主義が、異物だらけの153分間を、あっけないほどさらりと呑み込ませて、もう終わったのかという印象でエンドマークを見つめることになります。
さて、同じくドイツ軍のパリ侵略とレジスタンス活動という題材を扱いながら、メロドラマに終始してちっとも戦争を描けなかった大作として、ぼくは過去に観たクロード・シャブロルの『他人の血』という映画を思い出したんですが、少なくともシャブロルには、ヒッチコック譲りのサスペンスで戦争映画の醍醐味を見せる芸がありました。
一方のミネリはあいかわらずサスペンス作りが下手で、なぜここやあそこにハッタリをかませて観客をドキドキさせないのかと、もったいなく思うほどです。
しかし映画全体としては弛緩したシャブロル作品に比べると、本作には驚くほど、ある種の充実感がみなぎっています。
それは戦争映画としての充実ではありえないし、メロドラマとしての充実でさえ、ないのかもしれません。
過去の作品で独自の心理主義と美意識を完成させたミネリが、まったく場違いな作品にもそれらを押し通した結果としての、どう名付ければいいのかさっぱりわからないけれど、ミネリらしさとしかいえないものばかりで作り上げた、まったく類を見ない、奇妙にして誇大な「失敗作」でした。
(02 August, 2006 ©taraga)